pato「おっさんは二度死ぬ」の行間から滲み出る、天才の狂気<書評・ライター安達夕>
独自の情報網でパチンコ業界を深掘りし、扶桑社「ハーバービジネスオンライン」で執筆する記事が、しばしば数十万~約100万PVを記録する気鋭のライター・安達夕氏。日刊SPA!人気連載「おっさんは二度死ぬ」の熱烈なファンを自認する安達氏が、「二度死ぬ」単行本発売に際し書評を寄せた。
ハーバービジネスオンラインにパチンコ関連の記事を寄稿させていただいている縁から、ネット上のパチンコ関連記事には出来るだけ目を通すようにしている。
そんなある日、目に留まったのが、某パチンコ企業が運営するメディアサイトに掲載されていた、pato氏の「パチスロ名機列伝①~サンダーV編~」というコラムであった。
往年の名パチスロ機として名高いサンダーVを紹介しながら、自身とサンダーVの思い出を語るという体裁のコラムなのだが、その内容が「尾道お兄さんと僕が、パチスロのモーニングサービスをゲットするため、常連トク爺の心筋梗塞ブロックを突破する物語」という、常人には理解が及ばない、甚だ常軌を逸しているとしか思えない、しかし大学時代にやはりサンダーVの「3連V」に心躍らせた私としては懐かしくもありおかしくもある、不思議なコラムであった。
またある日は、ポータルサイトの「ドラクエ」の文字につられクリックをすると、「思いっきり感情移入しながら『ドラクエV』をプレイしたら絶対にビアンカを選ぶ」という、少年時代「1日1時間」のルールを決死の思いで破戒し、夜遅くに帰宅する父親のゲンコツを喰らいながらもドラクエに熱狂していた、今ではおっさんになった私のドーパーミンを噴出させるような記事に出会った。
文字数にして24000字。1800字から2400字が一番読みやすいというネット記事の常識を一顧だにしない、それでいて「でも俺はフローラと結婚する!」という結論だけの、でも我々ドラクエ世代は心の芯から感動で打ち震えるそんな記事であった。
ましてこの記事がPR記事であったこと、そしてそのPRの対象が「ドラクエ」ではなく、pato氏が任天堂ファミリーコンピューターを入手するために利用したフリマアプリであったこと、そのフリマアプリについては400字くらいしか書かれていないことに、同じ(と言う事自体憚られるが)物書きとして、驚愕すら通り越し戦慄を憶えた。
pato氏の作品を読む時、なぜかいつもデビルマンを思い出す。
アニメ版ではなく、漫画版のデビルマンだ。
小学生の頃、学校の美術室の本棚にデビルマンの漫画が並べてあって、当時再放送されていたテレビアニメのデビルマンが好きだった私は、掃除の時間に美術室にこっそり忍び込み独りでデビルマンのページを開いたが、それがちょうどジンメンの回の話で当分は通学時にバスに乗るのがトラウマになった。
二回目に漫画版のデビルマンを手にしたのは大学時代。
文庫版全5巻のデビルマンを寮の同室の友達が買ってきた。久々のジンメンの回はやはり少年時代のトラウマを思い出させるくらいに強烈な物語だったが、それよりも強烈だったのはそのラストであった。
デビルマンの最後の10ページは、もう作者である天才・永井豪の狂気としか言いようがない。主人公の不動明がその命を懸けて守ってきた人間たちに、物語のヒロインである牧村美樹が惨殺されたシーンは、不動明以上に私が衝撃を受けた。
「これが、おれが身をすてて守ろうとした人間の正体かー!」と絶叫する不動明の怒りが、漫画の線の一本一本からも噴き出してきそうで、絶望しかないラストの見開きまで文字通り息をのみながらページを捲った。あの時の虚無感は、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のラストを観終えた時のそれよりも大きかった。
後にその凄惨なラストを描いた永井豪が、自分も当時一体何を描いているのか分からなかったと述懐している、雑誌かネットの記事を読んだ記憶がある。完全なトリップ状態で描いたものだと。作家のペンに神が降りるという話はまま聞くが、あのデビルマンのラストシーンは神が降りたどころの話ではない。天才が、完全に狂気に呑み込まれている。
だから、pato氏の作品を読む時はいつもデビルマンを思い出す。
行間から滲み出る、常人とは一線を画した天才の狂気が、漫画版のデビルマンと通底しているから。
ただ一つデビルマンと違うのは、彼の狂気は、絶望や虚無ではなく、読者に得も言われぬ愛おしさを感じさせることなのだが。
天才の狂気-デビルマンとpato氏
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『pato「おっさんは二度死ぬ」』 “全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"―― |
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