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笑い過ぎて読み進められなかった、久々の本――pato「おっさんは二度死ぬ」<書評・中川淳一郎>

 久々に本を読んでゲラゲラと笑い、先に進めなくなってしまうという経験をしてしまった。その時がいつだったかを思い返してみたら、1983年、10歳の時だった。山中恒著『六年四組ズッコケ一家』以来、36年ぶりのことだ。  本書はおっさんにまつわる話(なぜかバカしか出てこない!)を「男」がデリヘル嬢のカエデに話し、カエデから感想を聞く形式で進行する。なぜ、このような形になるのかの答えは最後まで読まないと分からないのだが、おっさんエピソードのアホさに対比されるかのようなデリヘル嬢の、何か抱えた重苦しい雰囲気が最後に交わり合い、「おっさんは二度死ぬ」の真意が明かされるのである。  さて、おっさんにまつわる話は中学時代、大学時代、若手社会人時代、周囲にいたおっさんや同級生の話が「僕」により描かれるが、1973年生まれの私にはその空気感はよく分かった。著者は1976年生まれであることを明かしているため、私の3歳年下にあたるが、それでも同じような時代を経験したことは分かった。  雨で濡れてガビガビになったエロ本でさえ必死に拾い、「オカズ」にする話などは、多分現在の若手社会人などは経験していないだろう。固定電話がいかに信用の証だったか、といった話に加え、パソコンで作ったチラシに赤部分を多くし過ぎ、赤いインクを大量に使ってしまい後悔する話なども「わかる」としみじみとしてしまうのだ。  おっさん関連の話はどれも面白かったのだが、冒頭で述べたように笑い過ぎて先に進めなくなってしまったのが『木を切るな』という章である。これは、ここで紹介するのももったいないので、本書を読んでいただきたいのだが、本書を通じて常に漂うのが「哀愁」と「寂寥感」だった。

著者は優しい人なのかもしれない

 話はどれもバカである。だが、そこに登場する男達がいずれもロクでなしではありつつも、どこかで自分の幸せを願っているし、自分がイケてないことを理解しつつも少しでも生活を向上させようとしている様が描かれている。だからこそ冒頭で女子高生が「マジで死んでほしい、あのおっさん」というセリフが最後まで問題提起をし続ける。果たしておっさんは生きている価値がないのか? と。  『デスイレブン』という章では、何かと「俺はもうすぐ死ぬ」と言うのが口癖のおっさんがパチンコ屋の行列でトラブルを起こした話が描かれる。行列のおっさん(いずれもどーしようもないおっさん軍団)の一人がイカの塩辛を旅行の土産として買ってくれたのだが、ここの主人公たる「メロさん」がそれを独り占めしようとして、別のおっさんと口論になるシーンがある。 「うるせえ、もうすぐ死ぬんだよ。俺は死ぬ前に腹いっぱいの塩辛があればもうそれでいいんだ! それで本望なんだ」  メロさんも食い下がった。けっこう低いレベルの本望だ。 「じゃあ死ねよ、今死ねよ。これを渡したらすぐ死ぬんか? これ食ったら死ぬんか? 是非とも死んでくれよ」 いい年をしたおっさんが二人、イカの塩辛を巡って死ね死ぬ言い合っているのだ。ツイッターならとっくに凍結されている。(119P)  作者の真意というものは読み解けないものの、著者のpato氏は優しい人なんじゃないかと思う。  基本的におっさんという存在は忌み嫌われる存在で、ネットでは特に全方位から叩かれる存在である。それは「叩いていいコンセンサスがある」からだ。誰もが空気を読み合いながら叩いていいとお墨付きが与えられた存在を叩く。だからこそ、前出の女子高生の「マジで死んでほしい、あのおっさん」という発言が伏線として活きてくる。 彼女たちにいったい何の権利があって人の死を望むのか。まるでその権利があるかのごとく自信満々に言い放っていた。 「とにかくキモい」 「息が臭い」 「動きがキモい」 「いつも胸を見てくる、キモい」(8P)
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社会から袋叩きにして良いとお墨付きを与えられた唯一の存在が「おっさん」
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pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――

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