更新日:2023年03月22日 10:08
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pato「おっさんは二度死ぬ」の行間から滲み出る、天才の狂気<書評・ライター安達夕>

「キモイ、おっさん、死ね」と言われるおっさん達のバイブル

 話が逸れた。本稿は「おっさんは二度死ぬ」の書評だった。  「おっさんは二度死ぬ」には、pato氏が大部分を新たに書き下ろした本書(=書籍版)と、本書の原案であり「日刊SPA!」に週イチで掲載されているネット版があり、私はネット版の愛読者である。  読み切り形式で掲載されるネット版は、田中圭も吉田鋼太郎もいない純粋なおっさんの世界の話であるが、毎回違うおっさん達が、ある時は卑しく、ある時は切なく、ある時はバカバカしく、ある時は狂おしく躍動する。  その中でも第17話の「競馬場で呑んだくれてるおっさん等に聞いた! 2018年おっさん流行語大賞が決定」と、記念すべきネット版「おっさんは二度死ぬ」の第1話であり、本書のオープニングエピソードも飾る「『キモイ、おっさん、死ね』八王子の女子高生から突然の宣戦布告」を、私はpato氏の作品の中でも最高傑作であると信じて疑わない。  もし書店で本書を見かけたならば、このオープニングエピソードだけでも読んでみて欲しい。唯一無二のおっさん賛歌に涙し笑う。  本書は、おっさんが、おっさんを毛嫌いするデリヘル嬢に、えんえんとおっさん話を語り続けるという、設定からしてイカれて、いや、イカしているのだが、始めは「おっさんの物語」の狂言回しのように見えたこの二人の関係こそが、「おっさんの物語」の重要なファクターになっている。  さすが読者に24000字を読ませるpato氏の構成力に舌を巻いた。「日刊SPA!」に連載されているネット版ですら本書の伏線である。どこまでが事実で、どこからが寓話なのか。虚実入り交ざるおっさんのカーニバル。  その励ましは時に辛辣であり、その愛は時に嘲笑であるが、本書は誰が何と言おうが、「キモイ、おっさん、死ね」と言われて久しい、現代のおっさん達への応援歌である。そしてまた、実は「キモイ、おっさん、死ね」と言われるおっさんである事を、心から愉しんでいる、著者や著者と同世代のおっさん達の色褪せないバイブルでもある。  最後に。  物語の中、ある男が言う。本書のタイトルにもなっている、おっさんの「二度の死」について。  全てのおっさんは、自分がおっさんであると自覚したときに死ぬ。それは体力の衰えかもしれない、容姿の劣化かもしれない。新しい考え方についていけなくなったときかもしれない。いずれにせよ、もう若くないと自覚したその瞬間、死を迎える。  これが、世の中のおっさんの一度目の死。そして続けざまに、もう一つの「死」について語り始める。それは肉体の死ではなく、おっさんとしての二度目の死。世の中には「二度死んだ」おっさんがなんと多いことか。  自分はまだイケてるはず。若い者にはない魅力。若い人たちを正さなければならない。俺だって若ければ。俺は偉いんだ。俺はすごいんだ。環境や肩書、欲望がおっさんを勘違いさせる。そしてそれによっておっさんは再度の死を迎える。  本書やネット版で読者に愛されるおっさん達は、一度目の死を受け入れ開き直ったおっさん達である。そんな愛すべきおっさんたちが、どこかで道を外し、勘違いを始めた時、おっさんはただ人々に「キモイ、おっさん、死ね」と忌み嫌われる存在となる。  本書の「おっさんは二度死ぬ」は、翻ってpato氏の「俺は二度は死なん」という、潔く清々しいおっさんのテーゼである事は間違いない。 【安達 夕】 ライター。業界紙等を中心に、主にパチンコ問題について執筆。特に、ハーバービジネスオンラインで独自の情報源をもとに発信する記事が、毎回大きな反響を呼んでいる。 @yuu_adachi
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pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――

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