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20代で年商1億円を突破した起業家、30代で借金10億円を抱え妻と離婚…

 自らの手でゼロから事業を興す起業家。才能と運に恵まれた人間ならば、会社勤めの人間が生涯働いても稼げない額の金を手にする可能性もある。だが、当然甘い世界ではない。
桜庭さん

桜庭俊彦さん

 20代初めに事業をスタートさせ半年で年商1億円を超えたものの、31歳の時に別の事業に失敗。3億円の借金を作り、返済に追われた桜庭俊彦さん(仮名・43歳)。その後、新規事業にも失敗、33歳の時に借金が10億5000万円に。その間に妻と離婚し、多くの人脈を失った。  借金による貧困も経験。「人生をやり直す」という気概を持った彼は現在、信頼できるチームと共に、さらなる新規事業で巻き返しを図っている。借金、そして貧困、失った家族や人間関係、その後の再生について話を聞いた。

高校在学中からビジネスを始め、すぐに年商1億円に

 北九州地方で、21歳の時に起業した桜庭さん。当時は進学も考えたが、結果的に経営者として生きる道を選択した。 「高校在学中から学生ビジネスをやっていたので、勉学よりも経営に魅力を感じていました。ヤマダ電機の孫請けとしてスタートすると、半年で年商が1億円を超えましたね」  ヤマダ電機は当時、家電業界で売上第3位。年商3700億円を10年間で2兆円の急成長を遂げていた。孫請け業務も追い風に乗った。 「テレビ、洗濯機、冷蔵庫などいわゆる家電の配送と設置を請け負いました。電気工事も希望があれば対応しましたよ。社員はバイトも入れて10人でした」  年商は5億円を超し、順風満帆の事業を展開。3年後に結婚して子供にも恵まれた。公私ともども幸せだった桜庭さん。ところが、31歳の時に危機が生じた。

オンラインゲーム会社で大損。転落の始まり

「28歳の時にオンラインゲーム会社を設立し、同時に複数のファンドを立ち上げました。ところが31歳の時に製作したゲームが、完成間近で納品先を失ってしまったんです。同時にファンドの大元が焦げ付いたため、3億円の損失となりました」
契約イメージ

写真はイメージです(以下同じ)

 完成したゲームを引き取ってくれるプラットフォームを失ってしまったことで、販売のルートを失った。また取引先の運用会社が破たんしてしまったため、桜庭さんは経営者として初めて借金を背負うことになったという。 「そこでマレーシアやシンガポールに金融会社を立ち上げ、さらに別のファンド会社も設立しましたが、両方ともうまくいかず、33歳の時に借金が10億5000万円になりました」  投資にはリスクが伴う。元本の返還義務がある場合は「預り金」、返還義務がない場合は「出資」と区別され、桜庭さんの場合は返還義務がないものだったが、出資者に「弁償します」と約束したという。 「運用会社に落ち度があったのではないかと疑いました。もし落ち度があれば、それは僕の責任です。レベルが低い運用会社を選んだ結果かもしれないと自分を責めました。そこで責任をとって、出資者に弁償することに決めたんです」  1年間で相談した弁護士は7人。どの弁護士も一様に「3000万円から4000万円を出して破産手続きをするように」と勧めたが、桜庭さんは頑として「弁償する」と言い張った。 「破産は、逃げている証拠のような気がしたんです。弁償することが、自分にとって正義だと考えていたんですよ」
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妻と離婚。養育費を稼ぐために…
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