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東京五輪で金メダル最有力候補!? 22歳のクライミング選手・野中生萌を直撃した

 今夏、東京オリンピックで新種目として開催されるスポーツクライミング。日本は「ボルダリング大国」と呼ばれ、メダルを期待されている。そんな期待を高めた立役者の一人が、野中生萌(みほう)だ。 野中生萌’18年はIFSCクライミングワールドカップのボルダリング部門で年間女王に。’19年は両肩のケガに悩まされながらも、11月のチャイナオープンで金メダルを獲得。この大会の後、彼女は自ら考案した外岩を登るクライミング大会RedBull Asura(以下、Asura)に出場。熊野の山奥で自身にとってのクライミングを語った。

東京オリンピックに挑むクライミングの若き女王

――山の中は清々しくて気持ちがいいですね。Asuraの会見で「外岩はクライミングの原点」と話していました。どういう意味でしょう? 野中:もともとクライミングの始まりが、こういうところだからです。人が岩を登って、始まったスポーツ。子供の頃、ジャングルジムや木登りで遊んだ原体験に返るような。外岩を登ると「あ、楽しい!」っていう感情が自然に湧き出るんですよ。 ――アウトドア好きの家族で、両親と2人の姉と一緒に9歳からクライミングを始めたんですよね。 野中:はい、父が趣味で山登りをしていて、そのトレーニングの一環として家族で始めました。でも、私は末っ子だから、リーチもパワーもない。一番できなくて悔しかったことばかり覚えています。それから夢中で取り組んでいたら、いつのまにか自分一人だけハマっていました。 ――大舞台に強く、大会でもリラックスして実力を発揮している印象ですが、それは幼い頃から? 野中:いや、めちゃめちゃ緊張していました。初めての大会なんて11歳ぐらいで、アイソレーション(クライミング大会で他の選手のトライが見られないよう隔離された出場選手の待機場所。登り方をマネされないようにする目的がある)で体育座りして、何度も手のひらに「人」を書いてのみ込んでいました。落ちるのが怖くて、無我夢中で登ったら優勝できたんですけど、それから競技にのめり込んでいきましたね。
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オリンピックのおかげでクライミングを知る人が増えた
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