エンタメ

島田紳助さんが残した伝説をプレイバック…電撃引退から8年半

 2020年1月13日、元お笑い芸人の島田紳助さんが、歌手でタレントのmisonoがYouTubeに投稿した動画に出演。2011年の引退から約8年半ぶりに映像メディアにその姿を現わした。  misonoは紳助さんが司会を務め、珍解答を連発する回答者と紳助さんのやり取りが人気を博した『クイズ!ヘキサゴンⅡ』(フジテレビ系)の常連出演者。今回の紳助さんの出演は、『クイズ!ヘキサゴンⅡ』のファンを中心に大きな話題となった。  そこで今回は、電撃引退から8年半が経過した紳助さんの、現役時代と引退後の活躍について振り返っていく。

お笑い第二世代として漫才ブームを牽引

 島田洋七と島田洋八のコンビ「B&B」の漫才に憧れ、その打倒を誓った紳助さんは、1976年に松本竜介と出会い、漫才コンビ「島田紳助・松本竜介」を結成した。  当時の漫才師は揃いのスーツで漫才をすることが定番であったが、デビュー当初は作業着にリーゼントという独特のスタイルで登場し、悪そうに見えて実は体が弱いというキャラづけで笑いを誘った。
THE MANZAI

漫才師時代の紳助さんは島田洋七の漫才を徹底的に分析するなど、かなりの理論派であったという。(画像は『THE MANZAI LEGEND DVD-BOX 1980 笑いの覚醒〜1982 笑いの飛翔 吉本興業創業100周年記念版』のDVDより)

 1980年に放送を開始した『THE MANZAI』(フジテレビ系)に端を発し、漫才ブームが到来。「島田紳助・松本竜介」はブームを牽引する存在となったが、新人だった「ダウンタウン」の漫才に圧倒された紳助さんは、コンビの解散を決意。「島田紳助・松本竜介」は1985年に解散され、10年にも満たないコンビ生命に終止符が打たれた。

政治討論番組への抜擢から人気司会者に

 漫才から離れた紳助さんは、1989年に報道番組『サンデープロジェクト』(テレビ朝日系)の司会者に抜擢されることとなる。  『サンデープロジェクト』は、ジャーナリストの田原総一朗がホスト役を務め、田原とゲストとして招いた政治家が討論をする番組。そこで紳助さんは司会者としての才能を開花させると同時に、知的なイメージを構築することに成功した。
裁判力

紳助さんがかつて司会を務めていた番組では、今でも紳助さんの活躍について触れられることがある。(画像は『裁判力 行列のできる法律相談所 裁判力』の表紙より)

 その後、紳助さんは『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京系)や『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系)、『オールスター感謝祭』(TBS系)など、様々な番組で司会者に就任。引退まで番組を支え続け、人気司会者の名声をほしいままにした。

プロデューサーとしても才能を発揮

 2000年代に入ると紳助さんは司会者として活躍するだけでなく、様々な番組の企画や歌手グループのプロデュースでも敏腕ぶりを発揮した。  紳助さんは漫才への恩返し、そして若手の漫才師が漫才を辞めることもできるきっかけの場として、2001年に『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)を立ち上げた。2010年の第10回大会で一度終了したが、紳助さん引退後の2015年に復活。現在も毎年高い注目を集めている。
陽は、また昇る

『クイズ!ヘキサゴンⅡ』のレギュラー出演者は「ヘキサゴンファミリー」と呼ばれ、おバカタレントブームを牽引した。(画像は『陽は、また昇る』のCDより)

 さらに、『クイズ!ヘキサゴンⅡ』では紳助さんのプロデュースによって、レギュラー出演者が歌手グループを結成。2008年には『紅白歌合戦』(NHK)に出演するなど、大きなブームを巻き起こした。
次のページ
“黒い交際”の発覚で電撃引退
1
2
Cxenseレコメンドウィジェット
おすすめ記事