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やすし・きよし、紳助・竜介、B&B…キラ星のごとく輝いた80年代芸人列伝

 今日に至るまでお笑い界の頂点に君臨し続けるBIG3がその存在を確固たるものにしたのは世の中がバブル景気に足を踏み入れようとしていた最中のこと。空前のマンザイブームからスタートした80年代は綺羅星のごとく輝くお笑い界のスターたちが数多く誕生した時代でもある。現代お笑い史において、極めて重要な意味を持つこの10年にはいったい何が起きていて、その蠢動は何をもたらしたのか。賞レースを総なめにした元人気漫才師にして現在は文筆家としてその才覚を発揮するユウキロック氏が80年代に起きた“革命”をひも解く。

島田紳助・松本竜介

島田紳助・松本竜介

 1979年に始まった関西テレビ制作の全国放送番組「花王名人劇場」。この番組はドラマやコメディのみならず落語や漫才を週替りで放送する番組であった。開始当初、裏番組であるドラマ「日曜劇場」(TBS系)に視聴率で後塵を拝したが、起死回生の一打となったのが「おかしなおかしな漫才同窓会」という漫才を全面に打ち出した企画である。さらにそこから漫才で攻勢をかけた「花王名人劇場」は、その後11年間続く人気番組となった。その番組からは、関西の劇場で揉まれに揉まれた若手漫才師たちの足音が聞こえてきてきた。

群雄割拠のマンザイブームが到来


 機は熟した。1980年4月1日、『THE MANZAI』(フジテレビ系)がスタート。世の中にマンザイブームが到来した。

 リーダー格の横山やすし・西川きよしを筆頭に、お揃いのスーツがお決まりだった漫才師の衣装を捨てて、つなぎの衣装に身を包み「ツッパリ漫才」を標榜した島田紳助・松本竜介、速射砲のようなしゃべくりと相方いじり、「もみじ饅頭」のギャグで人気者となり、お昼の帯番組『笑っている場合ですよ』の司会に抜擢されたB&Bが大活躍。

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B&B

B&B

 さらに特筆すべきはザ・ぼんち。彼らのデビュー曲『恋のぼんちシート』はオリコン初登場2位、80万枚のセールスを記録。それを引っさげて日本武道館でライブを敢行するという快挙を成し遂げた。

ザ・ぼんち

ザ・ぼんち

 この番組の出演者のほとんどが関西芸人であることから、マンザイブームは「漫才がブームになった」というだけではなく、「上方演芸が完全に全国区になった」というエポックメイキングなムーブメントだったのである。しかし、ブームは長続きしない。そのトレンドは、わずか2年ほどで終了することとなる。

●島田紳助・松本竜介
デビュー当初は全身つなぎ、髪型はリーゼントというスタイルで従来の漫才師像を破壊。「ツッパリ漫才」と銘打った。「強い」「怖い」というツッパリのイメージを逆手に取り、実は「体が弱い」というようにギャップをうまく使い、笑いを誘った

●B&B
島田洋七が速射砲のように1人で喋り、島田洋八が一言つぶやき、それに対して島田洋七がさらにツッコむという異次元のような1人漫才。相方いじりも凄まじく、「もみじ饅頭」や「小野田さ~ん」などもギャグとしてお茶の間で大流行した

●ザ・ぼんち
「ツービート」「紳助・竜介」「B&B」といった速射砲のように喋り倒す漫才と相反し、ギャグ漫才を披露。「おさむちゃんデース」で始まり、「あれー」「潮来の伊太郎♪」などキャッチーなギャグを得意とし、万人に愛される漫才を披露した

【ユウキロック】
1992年、NSC在学中にケンドーコバヤシと「松口VS小林」を結成。1995年に解散後、「ハリガネロック」を結成する。「第1回M-1グランプリ」準優勝などの実績を重ねるが、2014年にコンビを解散。解散までの顛末を綴った著書『芸人迷子』がベストセラーとなる

イラスト/市橋俊介

80's青春男大百科

マイケル富岡、向谷実ほか80年代を象徴する人物たちの貴重な証言。さらにはカルチャー、アイテム、ガジェットで、世の中がバブル景気に突入する直前のあの時代を振り返る!





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