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全焼火災から半年経った首里城の今。山積みになったガラ袋や重機が…

 昨年10月31日、ショッキングなニュースが日本中を駆け巡った。沖縄県の世界遺産、首里城の正殿付近で火災が発生。約8時間後に鎮圧されたが、正殿をはじめとした主要7棟がほぼ全焼したのだ。火災から5か月あまり、現在の首里城は一体どうなっているのだろうか? 今年3月、現地に足を運んでみた。

山積みになったガラ袋や重機が…

 まず、はじめに伝えておくと、筆者が過去に首里城に来たのは過去1度だけ。それも2004年のことなのでデジカメすら持っておらず写真が残っていないため、ほとんど記憶がない……。当時はまだ再建工事中で、2019年1月に30年かけて再建した御内原エリアの半分もできていなかったと思う。その1月の完成から、わずか9か月後の火災だった。
城壁側の道

城壁側の道

 首里城へ行くためにはまずモノレールの首里駅で降り、そこから徒歩で行く。この日の気温は20度とはいえ、風が強くて公園内に入るほど風の音が強くなっていく。城壁側から向かう道を進んでいくと「ハブ注意!」という看板が。人気がないので、噛まれても誰も助けてくれなさそう……。
奉神門

奉神門

 券売所や土産屋が並ぶ下之御庭を進むと奉神門が見えてくる。「神をうやまう門」という意味で、首里城正殿のある御庭へと入る最後の門である。火災前は奉神門より奥が有料エリアとなっていたが、現在は封鎖されていて中には入れなくなっている。奉神門より東側部分は、ほぼ燃えてしまったというが実際はどうなっているのだろうか。警備員に聞いてみると、奉神門の横から少しだけ覗くことができるという。覗いてみると、そこにあったのは信じられない光景だった。
焼け落ちた工事中の正殿

焼け落ちた工事中の正殿

 本殿どころか、山積みになったガラ袋、そして重機……。遠い記憶にある首里城の欠片はおろか、何も残っていなかった。奉神門の前に立っていたガイドの女性に話を聞いてみた。 「いま、撤去作業を行っているんです。奉神門の奥、北殿、南殿・番所から寄満までほぼ全焼しました。特に出火した正殿は木造だったのできれいに焼け落ちて、土台と2つの龍柱だけが残ったそうです。寄満の奥、白銀門や寝廟殿は残っているようですね」
火災前(下)と火災直後の写真

火災前(下)と火災直後の写真

火災直後の空中写真

火災直後の空中写真

 そう言って見せてくれたのは、火災前と火災後の2枚の写真。正殿から奉神門側にかけて火の広がり方が分かる。火災の原因は未だに不明で、すべて再建するのは6年後だといわれている。しかし、現在は新型コロナウイルスの影響もあり工事も思うように進んでいないともいう。
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観光客は戻りつつある?
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東京都出身。20代を歌舞伎町で過ごす、元キャバ嬢ライター。現在はタイと日本を往復し、夜の街やタイに住む人を取材する海外短期滞在ライターとしても活動中。アジアの日本人キャバクラに潜入就職した著書『底辺キャバ嬢、アジアでナンバー1になる』(イーストプレス)が発売中。X(旧Twitter):@ayumikawano

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