有名MVにも登場。沖縄の人気ハンバーガーチェーン「巨大看板リニューアル」まさかの大反響の顛末
国内屈指の南国リゾートとして人気を誇る沖縄。美しい海と空が広がるビーチや、定番の観光スポットとして名高い国際通りでのショッピング、タコライスや沖縄そばといったご当地グルメ……。
沖縄が日本に返還される1年前の1963年。県中部の屋宜原に、アメリカ発のファーストフードチェーン「A&W」の新店舗として「A&W屋宜原店」がオープンした。その店舗建設を請け負ったのが、のちのA&W沖縄を立ち上げる平良幸雄氏(現代表取締役会長)である。
その後、1971年に平良氏が経営権を引き継ぐと、1973年には米国A&W社と正式にフランチャイズ契約を締結し、「A&W沖縄株式会社」を設立する。
1986年には県外初のA&W南鹿児島店をオープン。だが、わずか10か月で閉店。それ以来、“県内志向”を貫き、今では23店舗を構えている。“沖縄にしかないハンバーガー屋”として、県民の心を確実につかんできている。A&W沖縄に入社して20年以上になるという崎濱さんは「私が入社する以前から、ずっと県内志向でした」と語る。
「沖縄県には石垣島と宮古島にある3店舗はフランチャイズですが、沖縄本島の店舗はすべて直営で運営しています。長年、観光客も含めた『地元のお客さまに愛されるお店』というブランドを確立させてきたからこそ、そこを崩したくないというか、あえて本土(沖縄県を除く46都道府県)に出店せず『沖縄のハンバーガーといえばA&W』と魅力的に感じてもらえるのが大きな強みになっていると思います」
その一方、米国A&W社は日本全国にビジネスを拡大するために、A&W沖縄とは別に大手企業と手を組み、フランチャイズ展開を試みた過去がある。
博多や神戸、大阪、愛知のほか、東京でも茗荷谷、本郷、渋谷、赤坂、神谷町、大森といったエリアにA&Wを出店していた。しかし、今は全て撤退している。両者の明暗を分けたのは一体何だったのか。その理由について、崎濱さんは「創業者の息子である2代目(平良健一社長)がお客さまを楽しませるための“エンタメ”を大事にしていた」と答える。
「A&W牧港店には広い芝生席と子どもたちの遊べる広場があり、イベント開催時には、マスコットキャラクターの“ルートベア”、通称ルーティ―が、お店を盛り上げています。そのほか、子供たちにバルーンアートを配ったり、ルートビアを毎日おかわり自由にしたりしたのも、平良社長だったんですよ。また、A&Wで楽しい時間や満足のいくサービスを味わえたら、その合図に鐘を鳴らす『サンキューベル』も平良社長のアイデアで、これはアメリカ本社ではやっていないA&W沖縄だけのユニークな試みなんです」
「お客さまを喜ばせたい」という思いと「お店や商品の認知を広めたい」という狙いがあって、エンタメを意識した取り組みを行っているわけだ。
沖縄観光の楽しみ方は多岐にわたり、特に夏のハイシーズンにはバカンス目的で多くの観光客が訪れている。また、「ブルーシール」や「オリオンビール」といった県内の地元企業も人気が高く、沖縄を代表するファーストフード店の「A&W沖縄」もそのひとつである。
1963年に日本初のファーストフード店として屋宜原にオープンして以来、“エンダー”の愛称で60年以上も愛されてきた。
そんなA&Wだが、日本では沖縄にしか店舗を構えていない。そのこだわりや、長年愛される秘訣について、エイアンドダブリュ沖縄株式会社経営企画部部長の崎濱 秀太さんと同総務部広報 主任の砂川 ちひろさんに話を聞いた。
“県内志向”を貫いてきたA&W沖縄
「A&Wに来れば楽しい」エンタメ的取り組み
1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている
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