原爆が落ちた場所で生きてきた[長寿被ばく者]の言葉

福島原発事故後、放射線の恐怖に怯える人々が続出している。かつて原子爆弾によって放射線の恐怖を知った先人は、現状をどう見るのか? 今こそ彼らの経験に耳を傾けよ!

◆次世代に伝えていきたい。そのために今を生きる

田中安次郎さん(69歳) [当時3歳・長崎/爆心地から3.4km]

田中安次郎さん

田中安次郎さん

 ここまで紹介した被爆者の皆さんは、いずれも被爆当時の鮮明な記憶を持つが、田中さんは当時3歳。あの惨状を知る被爆者の言葉を、同じ被爆者として次の世代に語り継ぐ使命感に燃えている。

「今は若い世代に原爆の悲惨さを語り継ぐ活動をやっていますが、若いころは被爆者であることに向き合えていませんでした。できれば隠しておきたい、特異な目で見られたくない、自分は他の人間と同じく普通の人間なんだと思っていたかったんです。定年後に今の原爆資料館のガイドの仕事をやるようになって、ジュネーブで原爆被害についての講演をやったことがあります。そこでイギリス人ツアー一行に出くわして、『一緒に写真を撮ってくれ』と言われたんです。私はまるでパンダのように見られていると感じました。あれは耐えられなかった」

 田中さんの語る言葉は重い。被爆者とその他の人間を分けて考える合理的理由はない。不幸にして高線量の放射線を浴びただけだ。その上、田中さんをはじめ、同級生も若くに亡くなる人はいなかった。

「それでも怖い。祖母も母も腎臓病で死んでいるし、妹も人工透析を受けています。これが遺伝のせいか、放射線のせいかわかりません。でも、もしかしたら……という恐怖と一緒に生きることのつらさをわかってもらうのは難しいと思います」

 福島県民に対する特別視が広まりつつある現状で、田中さんの言葉は示唆に富む。

「放射線がどこまで危険でどこまで安全か、私にはわかりませんが、原爆が落ちた場所で何十年も生きてきた私の存在は、福島県民に勇気をあげられるのではないでしょうか。故郷は命の一部であり、一回しかない人生を、いかに自分のものとして生きるかが問われていると思います」

取材・文・撮影/八木康晴(本誌) 野中ツトム(清談社) 撮影/水野嘉之

― 長寿被ばく者からの[伝言]【7】 ―




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