元ストリッパーからお笑い芸人へ、障害者の相方と歩む「新喜劇」の夢
コロナで活躍の場を奪われた表現者たち。吉本興業に所属し、舞台を中心に活動する女性コンビ「てるちゃんちえちゃん」のボケ役である子輝さんもその一人。その経歴は凄まじく、芸人になる前は“ストリッパー”という生粋の表現者だ。活躍の場を失った彼女は、現在どう過ごしているのか。稼ぎを含め、話を聞いた。
――芸人になる前はストリッパーをやられていたそうですね。
子輝 19歳のときに父が亡くなって、そのあとを追うように母がクモ膜下出血で倒れてしまったんです。私が稼がなきゃって思って、22~32歳までの10年間踊り子をやっていました。二人目の息子を産んで太ってしまって、向こうの親御さんからも「子どもがいるからやめてほしい」と前々から言われていたので、いいきっかけだと思い32歳のときに引退しました。
踊り子時代は稼ぎがよかったので、付き合った男はみんなヒモにしていましたね(笑)。だから旦那も元ヒモなんです。仕事が終わって家に帰ってから、ただ好きな人に「おかえり」と言ってもらいたくて。私、すごく嫉妬深い性格なので、若い頃は泣き叫んじゃったりしてたんですよね。だから、いっそヒモがいいなって(笑)。
――結婚後もストリッパーを続けるとはすごい。
子輝 踊り子をずっと続けていたのは自分に合っていたからなんでしょうね。周りにも「どうして踊り子をやっていたの?」って聞かれたら、以前は「お金のため」って答えていました。そう言っておけば、それ以上は詮索されることはないから。実際に、父が残した生命保険金を家族が手にしてから、みんな金遣いが粗くなったんです(苦笑)。兄が急にBMWのバイク、冷蔵庫や洗濯機など大きな家電も急に一新。母も10万円くらいの美顔器を急に買い出したり……。
そして母はひとりで飲み歩くようにもなり、お店の人から電話があって「てるちゃん、お母さんが来てるから連れて帰って!」って言われたりして。一家崩壊ですよ。そのときに「このまま浪費しては露頭に迷う。私が稼ぐしかないな」って思ったんです。
もともと、私も16歳のときから家を出たりして、キャバクラで働いてたりもしてたので、脱ぐことには抵抗はありませんでした。キャバクラは合わなかった、っていうのも踊り子を選んだきっかけだったかなと思います。
あと、当時テレビでアイドル的なストリッパーさんの特集をやっていて、それを見て「これならできるかもしれない!」と思いました。今から30年くらい前のことです。今まで誰にも本当の理由を話したことがなかったんですけど、今年の頭に母が亡くなって、いろいろ気持ちの整理がついたのでお話しようという境地に至りました。
’88年生まれの兼業ライター。バラエティ番組やライブ、サブカルイベントに至るまでチェックする大のお笑い好き。お笑い本やサブカル本の書評も手掛ける傍ら、AVライターとしても活動中。ツイッターアカウントは@245pro
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