更新日:2020年08月22日 16:44
エンタメ

元ストリッパーからお笑い芸人へ、障害者の相方と歩む「新喜劇」の夢

踊り子時代の稼ぎは?

――当時はどれくらい稼いでいたんですか? 子輝 OLさんの3~4倍程度かな。10日連続公演で30万円もらったのが最高額ですね。当時は現在のような“チェキ撮影”みたいなものが一切なかったので、現像された写真を売っているような踊り子さんもいましたし、“まな板本番ショ”ーで稼いでいる娘もいました。すごく混沌とした時代でしたね。  ただ私は“アイドル系踊り子”だったので、ただショーを見せるだけでした。今はこんなおばさんですけどね(苦笑)。結婚しても舞台に上がり続けて、そこそこ貯金はできていたのですが、実は“スピリチュアル”にハマりまして……。数百万円が泡のように消えました(苦笑)。 ――スピリチュアルとは、具体的にはどんなものを? 子輝 具体的な組織名こそ言えないなんですが、“キャンドルで魂の伝言を伝える”っていうものです。2色の色が入った瓶が100本くらい並で、相手に選んでもらい魂からの伝言をお伝えする、というもの。私も“伝道師”側になるべく、資格を取ろうと思ったら授業料がとにかく高額。資格を維持するためには授業を受け続けないといけない、というサイクルにハマりました。  昔からスピリチャル系が大好きなんですよ、ハマりやすい性格というか。今も陰謀論系が大好きですし。お笑いもハマったひとつで、だから自分もやろう!と思ったんです。貯金の残り40万円が、ちょうど吉本のお笑い養成所『NSC』の入学金だったので、これを最後の賭けにしよう!ぐらいの気持ちでした。  主人に「お笑いの学校に行きたい」と相談したら、「頑張って行ってこいよ」って言ってくれました。今のところ、お笑いを続けていくために持ち出しのお金がかかるので、旦那に「両立のためにバイトを始めてみたら?」と言われてお弁当屋の仕事を始めたんです。 ――憧れの芸人さんはいますか? 子輝  新喜劇の「水玉れっぷう隊」さんが好きで、よく観に行っていました。NSCの授業は楽しかったですね。中田カウスさんとか、木村祐一さんが講師で来てくれたりとか。うちの相方も新喜劇が大好きで、この業界に入ってきたのもいつか自分が出たいっていう憧れがあったからなんです。
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コロナで仕事量に変化は?
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’88年生まれの兼業ライター。バラエティ番組やライブ、サブカルイベントに至るまでチェックする大のお笑い好き。お笑い本やサブカル本の書評も手掛ける傍ら、AVライターとしても活動中。ツイッターアカウントは@245pro

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