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なぜ、日本の凄腕ラッパーたちは“団地”出身なのか? ANARCHY、スチャダラパーetc.

 テレビでフリースタイルバトル番組が放映され、アイドルがラップをする時代。アニメや漫画業界でも躍進は止まらず、今年10月には豪華声優を起用したアニメ『ヒプノシスマイク』(TOKYO MX)が放送開始、また週刊SPA!連載中で9月2日に単行本が発売の『少年イン・ザ・フッド』も予約好調だ。市民権を得たヒップホップだが、重要なキーワードがある。それは過疎化が進む「団地」だ。なぜ、団地が凄腕のラッパーを生み出すのか、そのルーツを探る!
ヒップホップは団地から生まれる

写真はイメージです

団地というゲットーから世界に広がった多様性

 地上波でのフリースタイルバトル番組や、声優軍団によるラップユニット「ヒプノシスマイク」のブレイクなど、すっかりお茶の間に浸透したヒップホップ・カルチャー。誕生から約50年となるこの文化を語る上で、欠かせないキーワードが「団地」だ。音楽ライターの磯部涼氏は、国内外の歴史と団地の相関性をこう語る。 「そもそもヒップホップは、’70年代初頭、サウス・ブロンクスというニューヨーク郊外の巨大団地で生まれた文化です。都市計画によって半強制的に移住させられた貧困層の有色人種の若者たちが、『プロジェクト』と呼ばれる団地の遊戯室や公園で始めたパーティが発端。  ただ、興味深いのはその後、例えばパリ郊外の公営団地『バンリュー』など、世界中の同じような環境で同時多発的にその土地に根付いたヒップホップが生まれていったのです」  ’86年にRun-D.M.C.が初来日するなど、文字通り日本にも上陸したヒップホップは、徐々に全国に広がりを見せ’00年代以降、他国々同様「団地」が重要な舞台になったのだという。 「京都市伏見区にある団地『向島ニュータウン』での生活をラップで表現したANARCHYの登場は、その後の日本のヒップホップシーンに大きな影響を与えたと思います。実は、それ以前にもスチャダラパーのANIとSHINCO兄弟など、団地育ちのラッパー、DJがいなかったわけではありません。  ただ、積極的に地元をレペゼンする(=represent:代表する)という感覚はそこまで強くなかった。そうしたアーティストの活躍を’90年代に日本各地で見聴きして育った世代が、’00年代にやはり同時多発的に活動を始め、現在のバトルブームなどに続く日本におけるラップ表現の確立に貢献したという流れがあります」  ’80年代まで全国的に隆盛を誇った暴走族ブームの終焉と入れ替わるように、地元意識の強い不良カルチャーの受け皿としてヒップホップが広がったことは想像に難くない。小学生でザ・ブルーハーツに、中学2年生で日本語ラップに出合ったANARCHYが、少年院の中で音楽番組に出演していたZEEBRAを見て本格的にラッパーを志したというエピソードはよく知られていることだが、そうした世代を超えたカルチャーの継承は、今も繰り返されている。 「川崎のBAD HOPなど’10年代に登場したラッパーたちは、『ANARCHYの1stアルバムを聴いて、自分たちと同じだ!と思った』と、口を揃えて語っています。日系ブラジル人をはじめとした『移民』2世ラッパーたちもそうで、彼らは団地出身者が多い。それは’89年の入管法改正による移民の増加などと密接に絡んでいます」  高度経済成長期には近代的な生活スタイルとして憧れの的であった団地は、’80年代以降の少子高齢化に伴い急速にゴーストタウン化。そこに永住権を持つ外国人の大量流入があり、文化の違いから元の住民との衝突、荒廃化した。まさにヒップホップが生まれたサウス・ブロンクスと似た環境になっていったのだ。
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ヤンチャな先輩たちからヒップホップを学んだ
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