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報道されない“謎の死亡事件”。東京入管でもスリランカ人男性が急死していた

「入管職員に胸ぐらを掴まれ、帰国を強要された」

入管側の記録。ただし第三者的な記録ではないので、その信ぴょう性も問われるところ

入管側の記録。ただし第三者的な記録ではないので、その信ぴょう性も問われるところ

 8か月後の2014年11月12日、父のニクラスさん(1957年1月9日生まれ)もジョージさんのあとを追って15日間の観光ビザで羽田空港に着いた。しかし入管は「スリランカの日本大使館が発行したビザに問題がある。その確認に1週間かかる」として、上陸許可を与えなかった。  この時ジョージさんは羽田空港に出迎えに行ったが、何時間待っても父は出てこない。ニクラスさんは、羽田の入管施設に収容されていたのだ。  翌13日、入管の特別審理官が11月14日10時45分発のキャセイ・パシフィック543便を指定しての退去強制令書を発布。だがその当日、ニクラスさんが搭乗を拒否したことで入管は「収容令書」を発布した。これに対して、ニクラスさんは口頭審理を請求した。  ジョージさんは14日、父に面会に行った。その時ニクラスさんは「入管職員に胸ぐらを掴まれ、帰国を強要された」と語ったという。  入管の記録によると、16日にニクラスさんは頭痛を訴える。羽田入管は東京高輪病院にニクラスさんを連れていくが、病院は痛み止めと胃薬を処方した。  同じ16日、スリランカ出身の知人の男性A氏(日本に帰化)に入管が電話を入れる。「ニクラス・フェルナンド氏が、口頭審理を請求している。そのインタビューに通訳として立ち会ってもらえないか」と。  17日、ニクラスさんは東京入管へと移送され、5人部屋をあてがわれた。そして19日、ニクラスさんは、施設内の医療室で「だるさと頭痛」を訴えたが、医療室は「問題ない」として痛み止め以外の処置をしなかった。  21日、A氏と弁護士の立ち合いのもとに口頭審理が行われた。特別審理官は「今回の対応に誤りはない」と判定し、収容が継続されることになる。

「閉まっている」とウソをつき、病院には連れて行かず

警察署に安置されていたニクラスさんの遺体。額に傷がある

警察署に安置されていたニクラスさんの遺体。額に傷がある

 11月22日、土曜日。入管はA氏に電話した。 「ニクラス氏が亡くなった」  この時、死因は告げられなかった。この日に何があったのか。ジョージさんの証言、入管の記録、そして、この件を当時唯一報道したロイター通信の記事を総合すると、以下のようになる。  この日の午前7時19分、ニクラスさんが「胸が痛い!」と訴えた。7時半、ニクラスさんと同じブロックに収容されていたスリランカ人Rさんが通訳として、ニクラスさんの症状を職員に説明した。そして、「容体観察をする」からと、入管はニクラスさんを一人部屋に移す。ニクラスさんは「病院へ連れて行ってください」と訴え続けた。  すると入管はすぐにニクラスさんを元の5人部屋に戻した。このときニクラスさんは「やっと病院で治療を受けられるんだ」と安心した表情を同じ部屋の被収容者に見せていたという。  だが8時16分、行先は病院ではなく、監視カメラ付きの一人部屋(隔離室)だった。隔離室に移される前、ニクラスさんはあまりの胸の痛みに、「私はクリスチャンだからウソはつかない。病院に連れて行ってくれないと死んでしまう!」と、聖書を手に英語で叫んでいたという。  ニクラスさんは「病院へ」と入管職員に頼んだが、職員は「今日は土曜日だから病院は閉まっている」とウソをついて断った。
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遺体の額には傷があった
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ある日の入管~外国人収容施設は“生き地獄”~

非人道的な入管の実態を
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