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門田博光・74歳は今も闘い続けている。稀代の豪打者を襲う“病魔と孤独”

頭をハンマーで殴られたような痛み

 二〇〇三年一月五日、大阪キタのホテルで同級生の福本豊(元阪急ブレーブス)の殿堂入りパーティーに参加し、帰宅後の入浴時のこと。耳に水が入っていると思って水抜きをすると、「ズキーンッ!!」と頭にハンマーで殴られたような痛みが走った。すぐさま病院に行くと、小脳梗塞の診断で緊急入院。最悪の事態は免れたものの、それ以降右耳が聞こえづらくなってしまう。退院後は平衡感覚の乱れに悩まされた。目の動きが活発になると脳の機能が追いつかず、急に上体を起こしたりするとすぐさま嘔吐をもよおす。そのためビニール袋を片時も離せなかった。  〇五年には小脳梗塞が再発。夜にテレビを観ていて少し背を反らすと、突然頭の中で小さな破裂音が鳴った。立とうとするけど、グルングルンと天と地が逆さまになり、まともに立つことができない。その夜は安静にし、翌朝に病院へ行った。幸い、大事に至らなかったが、この日を境に体調が著しく変化していく。 「五年前から透析を受けとるんです。三年前までは『透析時に四時間は寝れる』と思ってルンルン気分で出かけて、終わった後に飲むビールがなんとも言えん美味しさやった。でも、ここ二年は終わった後に水を抜かれる。一キロほどやったらなんともないんやけど、暴飲暴食したときは三キロも水を抜かれて、靴のサイズが合わんほど足がガサガサに浮腫む。……今はコロナコロナでいらんストレスがかかるから調子はあまり良くない」  門田は、闘っている。迫り来る病魔に対し、必死に闘っている。  積み上げたホームランの記録もさることながら、永いプロ野球史において最高のスイングを誇るとも言われる門田の生き様は、常に闘いの連続だった--。 (次回に続く【関連記事】⇒門田博光さん記事一覧 【門田博光】 ’48年、山口県生まれ。左投左打。’69年にドラフト2位で南海ホークスに入団。2年目にレギュラーに定着し打点王を獲得。’81年には44本の本塁打を放ち初の本塁打王を獲得した他、晩年も打棒は衰えず40歳にして本塁打王、打点王を獲得。「不惑の大砲」と呼ばれた
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

92歳、広岡達朗の正体92歳、広岡達朗の正体

嫌われた“球界の最長老”が遺したかったものとは――。


確執と信念 スジを通した男たち確執と信念 スジを通した男たち

昭和のプロ野球界を彩った男たちの“信念”と“生き様”を追った渾身の1冊

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