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アントニオ猪木黒幕説も…「1999年の不穏マッチ」凶行を巡る“当事者の証言”

小川の暴走の裏にはいったい何があったのか?

 小川は試合後の記者会見で「これは猪木イズム。殺るか殺られるのか」と強がる。一方の橋本は怒りが頂点に立ち、UFOとの交渉役となっていた永島勝司取締役(当時)に「小川と話をさせろ!」と要求し、試合後に2人は電話で話したという。 橋本「小川、お前、これはどういうことだ⁉」 小川「すいません。頭が飛んでしまって……すいません」 橋本「お前は俺を救う義務があるんだぞ! 俺を助けなきゃいけない。どうする?」 小川「わかっています。すいません……」 (金沢克彦『子殺し 猪木と新日本プロレスの10年戦争』宝島社)  実はこの試合、新日本への爆弾投下という理由で、猪木が小川にシュートを指示。だが試合直前になって猪木が翻意、入場後に佐山経由で「プロレスだから仕掛けるな」とストップをかけたが、アドレナリンが爆発していた小川が自制心を失い橋本に仕掛けたという説がある。  小川は橋本戦でその強さが注目され、総合格闘技PRIDEに参戦、暴走王と呼ばれ時代の申し子となる。一方の橋本はその後、小川戦連敗により引退に追い込まれる。ファンの後押しもあり復帰するも、新日本を離脱。2001年に新団体ZERO-ONEを旗揚げする。

掟破りの凶行から揺るぎない信頼関係へ

 深い因縁があった2人だが2001年12月にOH砲を結成。なぜ橋本と小川がタッグを組むようになったのか? 橋本の親友であるタレント・勝俣州和は貴重な証言を残している。 「ZERO-ONEで小川と絡むようになったころに『あの試合は……』と切り出したら、(橋本は)『かっちゃん、ああいうことが起きるからこそ相手との信頼関係が生まれるんだよ』と言ってました。(中略)その席に小川選手もいて、『僕は一生、橋本さんを裏切れない』って言ってましたよね」 (「俺たちのプロレスvol.5」双葉社)  小川は掟破りの凶行を仕掛け、橋本を完膚なきまで潰した。だが、橋本戦以外に小川が仕掛けた試合はない。実は小川には内心、「橋本にセメントを仕掛けたことに対する大きな後悔」があり、すべてを受け止めてくれた橋本に対して「一生裏切れない」という思いを持っていたかもしれない。  プロレス界に激震が走ったセメントマッチは、歴史に残る「1・4事変」として今後も語られていくことだろう。
プロレスやエンタメを中心にさまざまなジャンルの記事を執筆。2019年からなんば紅鶴にて「プロレストーキング・ブルース」を開催するほか、ブログnoteなどで情報発信を続ける。著書に『俺達が愛するプロレスラー劇場Vol.1』『俺達が愛するプロレスラー劇場Vol.2』『インディペンデント・ブルース』(Twitterアカウント:@jumpwith44
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