“経験人数1000人以上”元セクシー女優が語る、壮絶半生「自宅には母親と父の愛人が同居」
巷では「生活苦によって仕方なく出演するもの」という色眼鏡で見られがちなセクシー女優業界。しかし業界人に話を聞くと、決してそうした後ろ暗い気持ちで参入する人間ばかりではないようだ。2012年から2年ほどセクシー女優として活動し、現在はトークライブやイベントなどで活躍している白玉あもさん(40歳・@amoshiratama)。
スカトロ系といった強烈なジャンルで活躍していた彼女に、セクシー女優になるまでの経緯と現在の生活について話を聞かせてもらった。
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――白玉さんといえば、“ヤリマントークイベント”などが人気を博している認識です。ご自身で「ヤリマンになったきっかけ」を挙げるとすれば、何があるでしょうか。
白玉あも(以下、白玉):私の家は兄と姉が家を出てから、家に父の愛人と連れ子が一緒に住むようになったんです。
――お母様と愛人が同居する形だったんですね。
白玉:かなり特殊ですよね(苦笑)。そのころから母が変わってしまい、冷蔵庫のものを食べようとすると「食べちゃダメ!」と怒るといった行動が目立つようになってきました。間もなく母は家から出たのですが、愛人と、その連れ子がいる実家にも、ささいなことで怒る母の家にも居場所がなくて。
そうなると、外泊が自然と多くなりました。いわゆる援助交際的な手段で宿泊先を見つけることもあって、高校時代には経験人数が60人を超えていたと思います。
ある程度自立できる年齢になると、親と離れたい一心でいろいろなことを試しました。バイトをしても母のパチンコ代にすべて取られてしまうので、高校生が自立できるレベルで稼ぐ手段が援助交際。振り返れば、高校時代は援助交際ばかりしていた。
――上京するきっかけは何だったのでしょうか?
白玉:当時はやっていた「ダイヤルQ2」で相手を見つけて、援助してもらっていたのですが、大きな変化があったのは、32歳の男性と付き合った時です。私が17歳の時に付き合うことになった人で、20歳頃に「東京で同棲しよう」と誘ってくれて。上京するきっかけになりました。
ただその人には悪いですけど、東京に出るためのきっかけが欲しくて利用したという面もあります。上京してから1年半くらいかな、ある程度お金が貯まったタイミングでその人の家を出ました。
――そのころにも、援助交際といった行為は続いていたのでしょうか。
白玉:はい。普通のカフェバイトなどもしていたんですが、援助交際は続いていました。一晩だけの時もあれば、愛人としてお金をいただくことも。そんなこんなで、“ヤリマントークイベント”などにも参加させてもらうほどの経験人数を持つに至りましたね。おそらく1300人くらいの男性とは関係を持ったと思います(笑)。
実家に父の愛人と連れ子が住む状況に
“経験人数1000人以上”に至った家庭環境
営業・バス運転手・SEといった職を経験してきたジョブホッパー。編集プロダクションでの修行を経て、現在はフリーライターとして活動中。将来はボルゾイを飼いたいと願ってやまない
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【イベント情報】
「白玉あも生誕祭~40になってもやめへんでnight」
2023年5月14日(日曜日)に開催
OPEN 17:30 START 18:00
前売 3000円 当日 3500円
※ドリンク別500円
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