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『サンデーモーニング』を“降板”して音声配信者に。橋谷能理子「ホームに戻ってきた感覚」

 YouTubeやTikTokの影響で、動画配信が当たり前の時代になった。そんななか、新たな選択肢として音声による発信に注目が集まっている。そこで、音声プラットフォーム「Voicy」でパーソナリティとして活躍する、各界の著名人にインタビュー。
橋谷能理子

フリーアナウンサーの橋谷能理子さん

 これまでのキャリアを辿りながら、なぜ音声配信者として活動することになったのか、そのキッカケを紐解いていく。今回は、約30年にわたり、TBSテレビ「サンデーモーニング」に出演し、「風をよむ」などを担当したフリーアナウンサー・橋谷能理子さん@norikoft1207)にインタビューを敢行した。

『ニュースステーション』のキャスターに応募

――テレビ静岡への入社が橋谷さんのキャリアのスタートですが、フリーアナウンサーになったキッカケを教えてください。 橋谷能理子(以下、橋谷):当時のテレビ局の若手の仕事で、各社の朝刊を全部1つのファイルに綴じる仕事があったんですね。ある日、そのルーティンの仕事をしている時に、当時のテレビ朝日が新しいニュース番組を始めるのでキャスターを募集する、という全面広告を見つけました。  それは、現在の『報道ステーション』(テレビ朝日)の前身の番組である『ニュースステーション』がキャスターを募集する、という広告だったんです。  まさか合格するなんて思わず、面白そうだな、という気持ちだけで履歴書をテレビ朝日に送ったんです。そうしたら、やたら面接に呼ばれるなと思っていた直後、最後の面接で「合格です」と伝えられ、「現職をすぐにやめてください」と言われました(笑)。

最も印象に残った「東日本大震災」

橋谷能理子――すごい話ですね(笑)。こからフリーアナウンサーとして活躍をされる橋谷さんですが、キャリアの中で最も印象に残る出来事はなんでしたか? 橋谷:難しい質問ですね……。やはり、東日本大震災でしょうか。記憶に深く刻み込まれているものとして。  まだ、震災が起こって間もない時期に震災の現場に中継に向かいました。瓦礫だらけの街を目の当たりにして、3階まで鉄骨になっているホテルの前から中継などをして、とにかく人間の無力さを感じました。
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取材で見極めたい「質問していいライン」
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