元日テレ・上重聡アナ、フリーになった直後の苦悩を語る「今日も0円か」…帯状疱疹を2回経験
高校時代にPL学園のエースピッチャーとして、松坂大輔(西武、レッドソックスほか)擁する横浜高校との死闘を繰り広げた上重聡。立教大学進学後も野球部で活躍したが、卒業後は日本テレビに入社。アナウンサー職に就いたことで多くの野球ファンを驚かせた。
入社後はスポーツ実況や情報番組の司会として局を代表するアナウンサーになっていたが、今年3月に突然21年間勤めた日本テレビを退社してフリーになることを発表。
上重はなぜキー局アナウンサーを辞めてフリーになったのか? また、現在の仕事状況から収入事情、今後の目標まで本音を聞き出した。
――日テレを退社しフリーになって半年が経ちますが、率直な感想は?
上重聡(以下、上重):楽しい気持ちのほうが強いです。最初は仕事もなくて難しい状況でしたが、おかげさまで仕事も増えてきてきました。局アナでは体験できなかったであろう仕事もさせていただけていますので。フリーというか“自由”を楽しんでいますね。
――今日もお一人で取材に来られましたね。
上重:今のところマネージャーはおらず、一人ですべてやっています。正直、フリー宣言をしたら事務所のオファーがあるかなと思っていたのですが、どこからも誘いがなくて(笑)。だったら自分でやるしかないなと。
あと、仕事を依頼していただく方々がどういう意図で私を指名してくださったのか、把握して現場に行きたいという思いも大きいです。
――21年間務めた日本テレビを退社し、フリーになった理由は?
上重:フリーでやってみたいという目標は30代前半からあったんです。でも勇気が出なくてずるずる時間が過ぎているなかで、ちょうど去年のオフに山本由伸投手と今永投手がメジャーリーグに挑戦するというニュースを拝見したのがきっかけです。
2人とも「やらないで後悔するんだったら、やって後悔したい」というコメントをしていて、その言葉が自分に問われているような感覚になったんです。
野球に置き換えて考えることが多いのですが、局アナは日本のプロ野球でフリーはメジャー挑戦みたいなイメージがあって……。やっぱり自信があるならメジャーのマウンドにも立ってみたい、まだマウンドにも立っていないのに諦めると悔いが残るだろうと。
もしそこでボコボコに打たれたんだったら自分でも納得するだろうと思い、フリー転身に至りました。
――誰か相談をした方はいますか?
上重:全くいないです。誰かに相談すると迷いが生じると思ったので、自分だけで決めました。これまで野球を辞めるときも、アナウンサーを目指すときも誰にも相談しなかったので、今回も自分自身で決断することを選びました。
マネージャーを付けず一人でフリー転身
メジャー挑戦した山本由伸・今永に刺激を受けてフリーに
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