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「障害は個性ではない」。吃音を持つ開業医が伝えたい“あきらめずに悪あがきすること”の重要性

吃音がない人の感覚は想像できない

――吃音という障害の難しいところについて北村氏は「吃音が出ない場合も多々あり、吃音が酷い場合には話ができないだけでなく、顔がゆがんだり、外見的にも酷い状態になることがあるものの、どういう場合に吃音が出るか、出ないのか。他人はともかく、本人すら分からない」という点だと続ける。 北村:そして、その吃音が出る状態が、どれくらいつらい状態なのか、吃音がない方には理解できないだろうし、想像もできないだろうということだろうと思います。私は幼稚園に入る前には吃音がありましたので、吃音がない人生が分かりません。吃音がない方が話すときの感覚が理解できないのですが、想像するに、吃音がない方々にとって、話すということは、空気を吸うのと同じくらい簡単なことであり、ごく当たり前のことでしょうから。吃音がない方が、何かの拍子で、どもることはあるでしょうし、大勢の前で発表する場があれば、緊張して言葉が出ない、ということがあるのかも知れませんが、ひどい吃音がある人間に取りましては、発語しようとする都度、そういう感じになっているのです。インターホンも苦手、マイクも苦手、電話も苦手。

電話という発明を憎んだことも

――吃音は、「他の目に見える障害と違って、一見、障害がないように見えることから、症状が理解されずに誤解されてしまうという苦労もある」という。 北村:外来では、患者様に分かりやすく説明することを心掛け、なるべく専門用語を避けているのですが、せっかく話すことができたなら、息継ぎをするまでに少しでも多く情報を伝えようと、早口になりがちで、クチコミに書かれることもあります。また、吃音のために、言葉を発することができず、詳細な説明をあきらめ、簡単にせざるを得ない場合もあります。吃音のために発語をやめてしまうなど、言葉足らずになることもあり、患者様だけでなく、スタッフや友人との間でも、コミュニケーション問題はつきまといます。吃音が恨めしいです。吃音は、目に見える障害と違い、一見、障害がないように見え、理解されずに誤解される苦労が多々あります。それでも、可能な限り患者様の疑問に答えられるように対応しており、私の説明がわかりやすく丁寧だから、と通ってくださる患者様もいらっしゃるので、日々、精一杯、診療にあたっています。 また、患者様を他の医療機関に紹介する際、あるいは、救急車を呼ぶ場合、など、電話をせざるを得ない場合が多々ありますが、私にとって、電話という発明は、なんというものを発明してくれたのか、というほど、発明者を憎みたいものの一つでありますが、外来をしていて、避けられないものの1つです。 吃音がなくなってくれれば、というのは、幼少時から、ずっとつきまとっています。吃音のない人生に憧れます。
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吃音が克服できなくても…
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立教大学卒経済学部経営学科卒。「あいである広場」の編集長兼ライターとして、主に介護・障害福祉・医療・少数民族など、社会的マイノリティの当事者・支援者の取材記事を執筆。現在、介護・福祉メディアで連載や集英社オンラインに寄稿している。X(旧ツイッター):@Thepowerofdive1

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