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“令和のラジオスター”になった23歳女性の半生。父の死を機に子役から離れ、バイト掛け持ちで学費を稼いだ経験も

父の死を機に演技の仕事から距離を置いた

エッジ1203──元は子役出身なんだとか。 アンジー:小学3年生頃から3年間ほどだけなんですけどね。映画『サウンド・オブ・ミュージック』を見たときに「これだ!」と思って。でも、実際はお芝居よりバラエティのお仕事のほうが多かった(笑) ──その頃からしゃべりの才能があったんですね! アンジー:実は父も昔役者志望で、自分の夢を諦めて、料理人になって家族を支えてくれていたんです。私がお芝居をやりたいって言ったら「自分の夢を押しつけたくなかったから、話したことがなかったけど……」って泣いて喜んでくれて。  でも、中学1年生のときに父は病気で亡くなって。台本の読み合わせも何もかも、ずっと一緒にやってきたお父さんがいないのに、一人でお芝居を続けていくことはできませんでした。  それからずっと演技の仕事から距離を置いていたんですけど、2024年の初めに鈴木おさむさんから声をかけていただいて、『芸人交換日記』という舞台に立ちました。本当に、父と私にリンクするようなお話だったんです!   ここからだったらもう一度お芝居ができるかもしれないって、すっと体に入ってきた感じがしましたね。お芝居の仕事は夢の原点だったので、またやりたいっていう気持ちがふつふつと芽生えてます。

引きの強さだけでやってきた23年間

エッジ1203──12月5日に発売された初の著書『すばらしい!!日々!』で、山崎怜奈さんが「少年漫画の主人公ですか?」とコメントを寄せていたのが印象的でしたが、説得力のあるエピソードですね。そういう引きの強さは昔から? アンジー:振り返ると、引きの強さだけでやってきた23年間ですよ!  伯山さんとのご縁もまさにそうです。著名なお知り合いなんてたくさんいるのに、ラジオの代役にアンジーを選んでもらえるなんて。  そもそも、畑も違うロックバンドのピンク髪の女のコがやってるラジオを30分間も聴いてもらえないはずなんですよね(笑) ──Gacharic Spin加入のきっかけも、高校の文化祭で披露した弾き語りを見たリーダーのF チョッパー KOGAさんにスカウトされて……。 アンジー:それも引きですね、本当に。本来バンドマンって、誰もいないライブハウスで弾き語りしたり、路上ライブしたり、デビューまでに過程があるじゃないですか。アンジーはそれを全部すっ飛ばしてきてる。
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