更新日:2025年01月03日 12:27
ライフ

「心理的虐待を受けた経験を持つ」29歳女性が思う“献身的な母親像”への違和感…「そばに居続けることだけが愛ではない」

「私たちの生き方」が「他の誰かの選択肢の1つ」になれば…

すいまーる

各々が持つ価値観の違いを善悪で捉えたくないと話す

――そうした「母はかくあるべし」というしめつけに染まらないために、應武さんが意識してやっていることがあれば教えてください。 應武:子どもに対して人生を楽しむ姿をなるべく見せること、そしてより多くの大人との接触の機会を持たせることでしょうか。  前者は、これから大人になっていく子どもが「大人になったら義務ばかりなんだ」とげんなりしないためにも必要だと思っています。たとえば我が家では、月に2回ずつ、特に何もなくてもどちらかが自由に遊びに行ったり飲みに行ったりする日を作っています。母親だって、ライブに行ってもいいし、野球にいってもいいし、資格勉強してもいいし、ミュージカル出演してもいいし、海外に一人旅に行ってもいいと思っています。見聞を広げるためにも必要ですし、そうしたリフレッシュが家庭に新しい風を吹き込み、健全な家庭をつくります。  後者は、閉じられた核家族において親だけの価値観を子どもに押し付けてしまわないように行っています。私は「すいまーる」設立以前もさまざまなシェアハウスで生活した経験があり、生活習慣にバリエーションはあっても善悪は存在しないことを知りました。単なる価値観の違いなのに、それを善悪で捉えないようになってほしいと思っています。  そして何より、これらを私たちの中だけにとどめないこと。我が家は“住みびらき”や宿泊でたくさんの人が足を運んでくれるのですが、こういった考えや姿勢を積極的に話すようにしています。すると「こんな風に頼っていいんだ」とか、「そんな発想はなかった」といった声があがるんです。今回の取材もそう。批判を受けることもありますが、たった1人でもこれを見て希望を見てるなら万々歳です。私たちの生き方が他の誰かの選択肢の1つになり、頼り頼られながら楽しく生きる大人が世の中に増えていったらいいなと思っています。 =====  應武氏の話を聞いて思う。自らを雁字搦めにするものから解き放たれるのは、極めて難しい。社会と、社会に影響を受けた自分の両方からの束縛によって徐々に身動きが取れなくなるからだ。そして何より、不自由な自分を受容してしまう諦めが社会全体に沈殿していないか。  もしもその諦めの延長線上に育児があるとしたら、幸福そうにみえる不幸がそこらじゅうで萌出していることになる。世間の目線に怯え、義務感を背負いながら子どもと向き合うのではなく、フラットな状態で対峙した。付き添い拒否という衝撃の選択の裏に、應武さんなりのそんな葛藤が確かにあった。 <取材・文/黒島暁生>
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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