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[田舎へ移住]を成功させる新法則【その6】

若い世代がこぞって移住する”海士町”の秘密とは?(前編) 島根半島の沖合約60kmにある隠岐諸島のひとつ中ノ島が「海士町」である。島根半島にある七類港から高速船で2時間、カーフェリーで3~5時間かかるこの離島へ、平成21年度末までの6年間で257人、157世帯が移住しているという。しかも、ほとんどが20~40代で、なんと定着率8割! その”成功”の秘密を探るべく、町を訪れた。
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面積は23.74平方キロメートルの海士町。人口は約2400人で、その約1割がIターン者ということになる。8月の最終週は町の最大のイベントであるキンニャモニャ祭りが開催される(写真右) まず、出迎えてくれた町役場総務課で広報を担当する小坂真里栄さんからして東京からのIターン。前職は新聞記者で「地域振興の町」という取材で海士町を訪れ、1年後には町の住民になっていた。 「役場の方や町の人の話を伺い、『この人たちと一緒に何かをやりたい!』と思ったんです」 小坂さんをそう思わせた一人が、民宿但馬屋で働く宮崎雅也さん。一橋大学を卒業直後、但馬屋に”おしかけ就職”したという。民宿の仕事に加え、但馬屋が20年に渡り手がけてきたなまこ加工事業(下請け)を独立化し、商品化と販路開拓に挑戦。「隠岐産干しなまこ」復活を目指し、自ら起業した。 宮㟢さんが海士町と出合ったのは大学在学中。町の中学生は修学旅行で一橋大学を見学、総合学習の成果を発表する「出前授業」を行う(現在は東京大学)。このとき大学側で受け入れを担当したのだ。 「同行された役場の方が、廃れてしまった干しなまこの事業を復活させたいという話を熱く語ってくれて、それがとても印象的で。詳しく話を聞きたくて、2か月後、町を訪れたとき、但馬屋のじっちゃん(主人)に会い、師匠と決め込んでしまって(笑)」  但馬屋は宿泊客に出すコメ、野菜、魚は自分たちで作り、取るというほぼ自給自足の宿である。 「ここでは生きる力が学べる。大学の同級生はいろんな企業に就職しましたけど、それぞれが進みたいところに行くという意味では同じ。誰にも負けているとは思わないし、ここで学べば、どこででもやっていける自信がある」 小坂さんも宮崎さんも”人”に魅了されたという。が、それは、町が存続するために取り組んだ改革への共感でもある。 海士町役場総務課 小坂真里栄さん(35歳)
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「海産物やおコメなど食べ物が本当においしくて、東京時代より健康的になって太っちゃったんです(笑)。でも、島に来て気分がおおらかになって、『まっ、いっか』って(笑)」 株式会社たじまや 宮崎雅也さん(28歳)
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「なまこは可能性がある商材。もっと販路を広げて、雇用を生むまでの事業にしたい」。右上は、師匠・じっちゃんと5割ほど乾燥させたなまこに串を刺し、まっすぐにする作業中
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