「出会い」前提のイベントで劣等感を抱く人々
―[「ぼっち」休日動態調査]―
お一人様専門店も登場し、世は「一人客」に対し、受け入れ態勢を整えつつある。半面、仲間と過ごす人を“リア充”と呼び、一人でいることを“ぼっち”と自虐する層も増えている。果たして、「ぼっち」での行動はどこまで許容され、どこで屈辱を感じるのか。孤独感が浮き彫りになる休日に絞って、「ぼっち」の「OK/屈辱」の分水嶺を探った!
<イベント編>「出会い」前提の催し物はむしろむなしい
人との出会いや交流が目的の場であれば、ぼっちも無理なく入れるのでは、と思いきやさにあらず。
「純粋に趣味を楽しむイベントならまだよくても、人との交流が主体になっているものは行っても後悔することが多い」(36歳・男性)という。その最たる例が、異業種交流会だ。
「異業種交流会や講演会後の懇親会で、さっと人の輪に入れず無意味な時間を過ごして帰宅。行っても無駄だとわかっていながらもやっぱり友達が欲しくて行く、の繰り返しです……」(33歳・男性)
コミュニケーション・スキルに自信がないタイプのぼっちにとって、こうした交流会は自身のスキルのなさを思い知らされる針のむしろということなのか。
では単なる「人との交流」ではなく、何らかの目的があればいいのかというと、ワークショップや料理教室、ライブなどもかなりの地雷になるという。
「ワークショップなんかに行くと、いつの間にかグループができていて、ヘタすると開始前から仲良くなっている人たちもいて入り込めない」(30歳・男性)
「友達のチケットノルマの付き合いで行くライブは最悪。ファンコミュニティがすでに出来上がっていて、ライブ自体も友達が出ているってだけで内容に興味がないと、ただ手持ち無沙汰で携帯いじるしかない(笑)」(26歳・女性)
目的自体に没頭できるなら問題ない気もするのだが、そう思えないのがぼっちたる所以なのか……。
取材・文/青山由佳
― 「ぼっち」休日動態調査【5】 ―
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