旧友ポールとECファッキンW――フミ斎藤のプロレス読本#074【WWEバンバン・ビガロ編エピソード9】
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
199X年
30代なかばになったバンバン・ビガロは、それなりのトシになったのだから、それなりに分別らしきものを身につけて、それなりに賢くならなくてはいけないと考えるようになった。
ヘルシーhealthy(健康に)。ウェルシーwealthy(裕福に)。ワイズwise(利口に)。そういうことがとても大切になった。
ウェルシーといってもリッチrich(お金持ち)になりたいという意味ではなくて、家族に恵まれて、仕事に恵まれて、このまま元気に暮らしていければいいという願望のようなものが芽生えはじめたのだった。
「人生最悪の10万ドル」
ビガロは、キモとのMMA――その時代はまだMMAという単語はなかったが――をこうふり返った。たった2分ちょっとの喧嘩マッチで10万ドルのファイトマネーをもらえたことはビジネスとしてとらえればまちがった判断ではなかったかもしれないが、やっぱり失ったものが大きかった。
“悪銭身につかず”ではないけれど、あのときの10万ドルはあっというまに消えてなくなった。いったいなにに使ったのかもろくにおぼえていないけれど、とにかくイージー・カム・イージー・ゴーのマネーはすぐにどこかへいってしまった。
“レッスルマニア11”のメインイベントで元NFLスーパースターの“LT”ローレンス・テイラーと闘ったときは1試合で100万ドルの小切手をもらった。あのときのミリオンダラーは新築の大きな家に化け、残ったお金を銀行に預けることもできた。あれは正しい選択だった。
マネーには“いいお金”と“悪いお金”があるということもそれなりに悟った。もうあんまり欲しいものはない。とくにお金で買えるもので、どうしても欲しいものはない。
お金で買えないモノのなかには大切にしなければならないモノもある。モハメド・アリからもらった金のネックレスもそういうモノのひとつだった。
ほんとうかウソかはわからないけれど――でもそんなウソをつく理由はないだろう――ビガロは「モハメド・アリからもらった」という金のネックレスをいつも肌身離さず身につけていた。
あれはある年の7月4日、アメリカ合衆国独立記念日の日、新日本プロレスのシリーズ興行で沖縄をツアー中のできごとだった。気がついたら首からあの金のネックレスが消えていた。
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昼間からお酒を飲んだので、バーのカウンターに置き忘れてきたのかもしれないし、ホテルのプールで日光浴をしていたときにうっかりどこかに落としてしまったのかもしれない。あれはなくしてはいけないモノだから、ビガロはホテルのフロントにすぐに相談にいった。
グレート・コキーナ(のちのヨコヅナ)とワイルド・サモアン・サムーとワイルド・ペガサス(クリス・ベンワー)もそこらじゅうを走りまわっていっしょに“宝物”を探してくれた。
しばらくしてから、ライフガードがプールの底に落ちていたネックレスを見つけてきてくれた。あとちょっと遅かったら、排水溝のほうに流されていたかもしれない。でも、ビガロは「あれはなくすはずがないモノだから必ず戻ってくる」と信じて、はじめからそれほど心配していなかった。
野性的なカン、第六感、神通力といってもいいかもしれないし、ひょっとしたら超能力といってもいいかもしれない。ビガロはたまにそういう力を発揮することがあった。とにかく、運が強いことはたしかだった。
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