クリス・ベンワー ナイスガイの“反則死”――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第97話>
サクセス・ストーリーと悲しすぎる最期、プロレスラーの天国と地獄を生きたスーパースターだった。
クリス・ベンワーは12歳のときに“心の師”ダイナマイト・キッドと出逢い、プロレスラーになることを決意した。
世界じゅうをまわりながらプロレスを旅をつづけ、18年がかりで“レッスルマニア”のメインイベントにたどり着き、マディソン・スクウェア・ガーデンで世界ヘビー級チャンピオンになった。
ホームタウンのカナダ・エドモントンでは、中学時代からいつもリングサイド席でキッドの試合を食い入るように観ていた。
キッドとデイビーボーイ・スミスが坊主頭にしたときは、クリスもすぐに頭を丸刈りにした。キッドのカミソリのような切れ味の鋭いレスリング、スピード感、文字どおり爆弾のようなガッツとスピリットに完全にシビれた。
そして、なによりもクリスを驚かせたことはキッドが自分とそれほど変わらないくらいの体格だという事実だった。
ハイスクール時代は9月の新学期シーズンはフットボール、冬はアイスホッケー、春は陸上競技、夏はベースボールと1年じゅうスポーツに汗を流した。雪国エドモントンではホッケー・プレーヤーが学校のスターだった。
アマチュア・レスリングもやりたかったけれど、クリスが通っていたハイスクールにはレスリングのチームがなかったため近所のYMCAのレスリング教室に通った。1日でも早くプロレスラーになりたかったから、大学には進まなかった。
クリスは「催眠術にかかったように」、ハイスクールを卒業と同時にカルガリーのスチュー・ハート家の地下室でトレーニングをスタートした。
身長5フィート8‐1/2(約174センチ)、体重180ポンド(約82キロ)の体格はプロレスラー志望の若者としてはかなりちいさいほうだったが、スチューはクリスの目をみてすぐに入門を許可した。
“ダンジェン=地下牢”でじっさいにクリスにレスリングをコーチしたのは日本人レスラーのミスター・ヒト(安達勝治)、ブルース、キース、ブレットのハート兄弟、ハート家にホームステイしていたデイビーボーイ・スミスというすごいメンバーだった。
19歳でカルガリーでデビューしたが、地元の先輩レスラーのバッドニュース・アレンBadnews Allenの紹介で新日本プロレスへ“プロレス留学”することになった。
新日本プロレスはあこがれのキッドと初代タイガーマスクが名勝負を演じたリングだから、クリスはどうしてもジャパニーズ・レスリングと道場生活を体験してみたかった。
東京・世田谷の合宿所に半年間、住み込んで、ほかの新弟子たちといっしょにチャンコを食べて体を大きくした。日本でのデビュー戦は、のちにパンクラスを設立する船木優治(現・誠勝)とのシングルマッチだった(1987年1月2日=東京・後楽園ホール)。
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