父・間寛平と交わした約束は…間慎太郎がミュージシャンになるまで
「一つ一つを大切に。その積み重ねで、ずっとやり続けられたらなという思いがあります」。
人生ゲーム』を引っ提げてツアーを行っている真っ最中の間に、ミュージシャンを志すきっかけとなった出来事や、仕事に対する向き合い方などについて話を聞いた。
――約1年ぶりとなった『人生ゲーム』ですが、タイトルの由来は?
間慎太郎(以下、間):アルバムは去年の2月くらいから制作に入ったんですが、そのときにスタッフさんたちとコンセプトを決めていて。僕は年がら年中、ツアーを回っているような生活をしているので、そういうものがパッケージとして表れたらいいよねという話をしていたんです。
僕が「フットワークの軽い中年男みたいなのはどうですか?」と提案して、そのコンセプトでやろう!となって、だったらまずは同世代の男友達とかの背中を押せるような、そういう曲を作ってみようかと思って『やってやれ』って曲を書いたんです。その『やってやれ』ができたときに「一か八か、どうなるかわからへんけど、もう一回やろうや!」っていう思いで「人生ゲーム」という名前を、パッと閃いたんです。
――作詞・作曲はどんなスタイルで行っているのでしょう?
間:アルバムを作ってそれで終わりということではなく、アルバムを作ったら、ライブはたくさんやりたいと思っていますし、スタッフにもツアーはたくさん出たいと言っています。今回のツアーは半年くらいありますね。ライブ会場に来てくださるお客さんが、ライブハウスを出るときに「明日もちょっと頑張ろうかな」と思ってもらえるような曲を作りたい。どーん!と背中を押すような曲は書けないですけど、少しでも、数ミリでも背中を押すことのできるような、そういうライブをしたいので、そういう意味で、曲もそういう感じになったと思います。
――そもそもなのですが、ミュージシャンを志したきっかけは何だったのでしょうか?
間:忌野清志郎さんがすごく好きなんです。僕は中一の時に、風疹に罹って。風疹に罹ったら、一週間学校を休まなきゃいけないじゃないですか。でも、実際にしんどいのは頭の二日くらい。あとは、体は楽やけどずっと休まなあかんっていうので、家で暇やな~と思っていたんです。僕の父親が清志郎さんをすごく好きで、家でライブのビデオとかをいつも見ていたんですよね。時間があるし、父親が好きな清志郎さんのビデオを見てみようかなと思って見たのが、ミュージシャンを目指すきっかけですね。
清志郎さんの「Oh yeah! ごきげんだぜー!」っていうのを見て、「これや!」と思って(笑)。「風疹だぜ~ベイべ~」みたいな感じで、家にたまたまギターがあったので、弾けもせえへんのに、適当に「Oh yeah! ブツブツだぜ~!ベイベ~!」ってやったのが『風疹ロックンロール』っていうんですけど、これが始まりですね。いきなりオリジナル。そこからですね。風疹に罹って、よかったなって(笑)。
――高校卒業後は、大学に進学されました。大学生活はどんな風に過ごしていました?
間:大学のころは、清志郎さんのライブをようやく見に行ける年になっていたので、よう見に行っては、次の日、大学に清志郎さんみたいに髪の毛をぶわーっと立たせて行ったりしていました(笑)。僕自身もライブをやっていましたね。
――そのころから、将来はミュージシャンになると決めていたのでしょうか?
間:ライブをすごくたくさんやっていたので、漠然と、ずっとステージに上がり続けられたらいいなと思いながらやっていましたね。
――アルバム制作においてもライブを念頭に置いているとのことでしたが、そのころからステージに立つことを大切にしていた?
間:あの頃から変わらないですね。ライブの楽しさは。振り返ってみると、清志郎さんにもライブ映像から衝撃を受けていますし…。僕はライブが好きなんでしょうね。
そう語るのは、お笑い芸人の間寛平を父に持つミュージシャン・間慎太郎だ。最新アルバム『忌野清志郎に憧れ、芸人ではなくミュージシャンの道へ
1
2
『人生ゲーム』 今作はサウンドプロデューサーに生駒龍之介を迎えた渾身の一作 |
ハッシュタグ