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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。

第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(13)

 いや、ジャンケット関係だけではなくて、この時期カジノ事業者本体の職員たちも大半はレイオフされている。

 そしてこのレイオフは、一時的なものではなく、のちに恒久的なそれになることが予想された。

「ジャッキーくんの『天馬會』は、ほぼ100%の営業自粛です。彼の契約はまだ残っているのですが、同僚はほとんどが解雇されたそうです」

 優子の舌がもつれていた。

 2本目のヘネシーのボトルは、半分以上が消えている。

「IVS(Individual Visit Scheme=大陸の人たちに出される特別なマカオ滞在ヴィザ)が再発行されるようになったら、客は戻ってくるのかね」

「きっと戻ってきます。わたしたちは、そちらに賭けました。以前良平さんがおっしゃっていたように、賭博のない社会などありえない。おまけに過去の事例を調べてみたら、面白いことに気づきました」

「なに、それ?」

「日本では災害とか経済危機とか、そういうことがあって政府から援助金だの補助金だの支給金だのが出ると、カジノでジャンケットのお客さんが急増した」

「ああ、それはある」

 なぜなら、その税金のかなりの部分はウラ社会に流れる仕組みとなっているからだった。

 それだけではなくて、オモテ社会がその仕組みを取り込んでいく。ウラとオモテの社会が渾然一体となって、税金を喰っていくのが、日本の実情である。

「東日本大震災後のジャンケットはすごかった、と良平さんは教えてくれましたよね。それからしばらく経つと、ジャンケットのお客さんたちに除染ビジネスや貧困ビジネスの人たちが増えた」

「確かに、そうだね」

「日本のケース、いや世界で共通してそうなのでしょうが、新型コロナでは、財政支出が半端な額で終わらないはずです。この窮地こそが、ジャンケット事業の経営者として新規参入する好機到来なのではなかろうか、と。逆張りです」

「よし、わかった。売ろう」

 なぜそう言ったのかはわからない。

 しかし良平は、そう言った。

 メガバンクから送り込まれて20年を越していた。

 一本独鈷(いっぽんどっこ)の『三宝商会』となってからでも、すでに16年。

 泡のような打ち手たちを相手にするこの業界に、良平が疲れて果てていたのは、事実だ。

 持続の時間に長短はあっても、泡は必ず弾けた。

 そしてまた新しい泡が生まれる。

 神田猿楽町に生を受けて、ちょうど半世紀。

 そろそろ見切りどころなのかもしれなかった。

 そして賭博の世界では、勝ち逃げだけが唯一生き残れる道である。

「ほんとですか」

 と優子。

 この業界では、口で交わした約束で充分だ。

「ああいいよ。未練はない。業界はこんな惨状だし、ちょうど潮時かな。でも優子さんが500万HKD(7500万円)を支払っちゃったら、新会社の運転資金はどうするの」

「負けませんよ」

 と優子が笑う。(つづく)

⇒続きはこちら 第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(14)

第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(12)

 2020年4月、新型コロナ・ウイルスの影響で、世界的にカジノ業界は窮地に追い詰められていた。とりわけマカオのカジノは、悲惨な状態である。

 メガ・ハウスといえども、というか事業規模が大きければ大きいほど、毎日まいにちマカオのカジノは巨大な損失を叩き出していた。

“Inside Asian Gaming”という業界誌が、4月14日からの3日間、マカオのメガ・ハウス11軒(The Venetian Macao, Parisian Macao, Sands Cotai Central, City of Dreams, Wynn Palace, MGM Cotai, Galaxy Macau, Grand Lisboa, Wynn Macau, MGM Macau and StarWorld.)に潜入取材しレポートしている。

 あの東京ドームほどにも(あるいはそれ以上に)広い各ハウスのゲーミング・フロアには、平均すると客が15人ほどいた。内わけは、テーブル・ゲームに7人、スロット・コーナーに8人だけだった。

 金沙城中心(Sands Cotai Central)にいたっては、フロアに居た客はたったの1名のみ。惨状を通り越して、もはやギャグの領域である。

 大幅に従業員を削減したといえども、それでもハウス側は、その平均15人の客のために、ディーラー、インスペクター、ピット・ボス、フロア・マネージャー、ケイジ(=キャッシャー)要員、ホスト、セキュリティ、サヴェイランスの職員を割かなければならなかった。

 カジノを閉めるわけにはいかないのだから。

 なぜならハウスには、「1日24時間、1年365日」のオープンが義務づけられている。そうしないと、カジノ・コンセッションの条件に違反するとして、澳門博彩監察協調局にライセンスを没収されてしまうのだった。

 業界最大手のサンズ・チャイナの2020年1~3月期の決算は、前年比売り上げ65%強の減少で、200億円弱の純損益。これは新および旧の正月を含むかき入れ時でそうなのであって、まだ4月以降の地獄を見ていないのどかな時期での数字である。

 のちに発表された4月の売り上げは、弱小からメガ・ハウスまですべてを合わせてもたったの10億円相当だった。おそらく地元の打ち手たちが1億円弱のバイインで、ぐるぐる回した結果であろう。

 入境制限がつづく限り、ハウスはオープンしていても巨大な赤字を垂れ流す。

 だからといって、ハウスを閉めれば、ゲーミング・ライセンスを失ってしまう。

 進んでも地獄、退いても地獄だった。

「6月になれば入境制限は解除される、って言われているけれど、それまで業界はもつのかね」

 とコニャック・グラスを手にして良平がつぶやいた。

「ジャンケットの部屋を開けているのはほんの一部の大手だけですけれど、お客さんが入っているのを見たことがありません」

 と優子。

「まあ、この業界のことだから、どこが活動していて、どこが廃業したのかも、来年1月の博彩監察協調局の公表まで、わからない」

 ただジャンケット関連の職員たちが、どかどかと解雇されているのを良平は知っていた。(つづく)

⇒続きはこちら 第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(13)

第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(11)

 だらだらと博奕(ばくち)を打てば、構造上ゲームに組み込まれた「控除」という罠に、打ち手は必ず絡めとられてしまう。

 だから、迅速に集中的に攻撃を仕掛ける。

 良平の言葉では、「一撃離脱」。

 博奕において、戦力の逐次投入は、いわば敗北の方程式。厳禁だった。

 待って待って待ち抜いて、ここぞという瞬間に戦力を集中し投入する。

 どかん、と行く。

 日本の非合法の賭場(どば)で言われる「行き越し」である。

 勝負卓でフラット・ベット(=賭金量に変化がない賭け方)を続ける打ち手たちは、短期的にはどうあれ長期的には例外なく負ける。

 これは博奕だけではなくて、国家間の戦争でもそうなのだろう。クラウゼヴィッツの『戦争論』では、同様に論じられた。

 戦力を集中し、迅速に、鎖の弱い部分を攻撃する。

 どんなに頑丈な鎖でも、その一番弱いつなぎ目分しか強くないのだ。

 一点突破全面展開。

 それを飽きずに繰り返す。この「繰り返す」という部分が重要なのである。

 博奕における勝利の方程式だった。

「ヒラ場でのプレイですから、わたしの顔は知られていません。それで多くのハウスからVIPカードをもらっちゃいました」

 優子が艶(あで)やかに笑った。

 メガ・ハウスの一般フロアとVIPフロアでは、マネージメントも異なるし職員も別だ。この2セクションは、職員間の交流もないところがほとんどだろう。

 ヒラ場で一手10万HKD・20万HKDで打っていれば、サヴェイランスからの連絡が入り、そりゃVIPホストが駆けつける。

「わたしは最多で二手勝負ですから、VIPカードをいただいても、プレミアム・フロアで打つつもりはありませんでした。不思議なのですが、ヒラ場の方が目が素直に感じます。選択できる勝負卓が多いから、そう感じるのかもしれません。大切なのは実際にどうかということより、そう感じてそれを信じることなのですね。信じられるから、わたしみたいな者にとっては大金の10万HKDを、丁と出るか半と出るかまったくわからないものに、思い切りよく賭けられます。おまけにヒラ場なら、わたしのことを知っている人もいないことですし、格好をつける必要がありません。まわりのおじさんおばさんに混じって、好き勝手なことができます」

「確かにヒラ場は打ちやすい。ジャンケットにせよプレミアムにせよ、それらのフロアには眼に見えない罠がいっぱい仕掛けられてある」

 自分の職場だ。良平にせよ優子にせよ、そこいらへんはよく心得ていた。

 部屋持ちのジャンケット事業者はほとんどのケースで「勝ち負け折半」勘定(つまり、客が負けてくれた方が、実入りがよくなる)だから除外するとすれば、コミッションで喰うジャンケットたちは、その罠に引っ掛からないよう、いかに客を誘導するかも、仕事の重要な部分である。

「1年間足らずでしたが、その罠に嵌まってしまったお客さんたちを数多く見てきましたから」

 優子がグラスに残ったコニャックを飲み干した。

 崩れない。

 酒に強い女性である。(つづく)

⇒続きはこちら 第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(12)

第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(10)

 ヘネシーXOのボトルには、すでに3分の1ほどしか残っていない。  封を切ったばかりのボトルだった。  よし、今夜は酔い潰れるまで飲もう。  良平は自らのグラスに大量のコニャックを注いだ。 「のれん代って、どれぐらいを用 […]

第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(9)

 法律というややっこしいものができてからでも、場合によって捕縛されれば死罪になるかもしれないのに、ヒトは博奕を打ちつづけてきた。  なぜか?  ヒトは賭博をする動物、だったからである 「もう一杯、いただいてもよろしいです […]

第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(8)

「しかし、いま独立したって、商売にならんのじゃないかね?」  と良平。 「しばらくは準備期間として、力を溜めます。入境制限が解除され、お客さんたちが戻ってきたときに、ジャッキーくんは勝負をかけるそうです」  それはそうで […]

第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(7)

 優子にとっても自分のオフィスであるのだから、「いいですか?」はなかろう。  もっとも、傍から見る良平の状態がそれほど尋常ではなかったのか。  優子はジャッキーと二人で行った北海道の温泉巡りから、一週間ほど前に帰ってきた […]

第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(6)

 新型コロナ・ウイルスの影響で2月5日よりマカオのゲーミング・ハウスは、政府命令で閉鎖された。  その営業停止命令は、20日午前0時で失効し、39あるカジノのうち29のハウスが営業を再開したのだが、開けたところでもテーブ […]

第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(5)

 大陸からの観光客はたしかに激減したのだが、どういうわけか除夕はまだレストランもホテルも盛況だった。  その夜は、半島側に脚を伸ばし、グランド・リスボア裏にある『老記海鮮麺粥店』で、良平は『王宝和』の紹興酒を一人でいただ […]

第6章第4部:振り向けば、ジャンケット(4)

 2020年の除夕(大晦日)は1月24日(金)だった。  中国大陸および「一国二制度」下の地域も、そこから10日間の春節休暇に入る。  除夕の夜には、『春节晚会』という、まあ『NHK紅白歌合戦』に似た番組が放映され、それ […]

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