“元祖”レーザー・ラモンがデビュー!――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第135回
ホールのなかではダイヤモンド・スタッドとしてWCWに在籍した1年間は“カミソリのラモン”に再変身するまでの準備期間になっていた。1992年、WWEと契約と同時にホールはリングネームをレーザー・ラモンに改名し、身も心も“キューバ系”に生まれ変わった。出身地はアバウトに“カリブ海”ということにしておいて、アメリカと仲の悪いキューバのイメージを巧みに演出した。
WWEはリング上でのデビューをまえに“海外ロケ”のプロモーション・ビデオでレーザー・ラモンを売り出した。カリブ海のとあるビーチで果物を売る屋台からリンゴを盗み、口に含んだリンゴを屋台の親父の顔に吐きかけるというシーンは、のちにプエルトリカンのカリートのトレードマークになったが、じつはこのコンテはレーザー・ラモンがオリジナルだった。
レーザー・ラモンのもうひとつのビジュアル的なこだわりは、ショートタイツ、ニーパッド、リングシューズの3点セットをつねに同じ色で統一するというリック・フレアー流のワードローブだった。フレアーのマネをしてみたら、フレアー本人がスーパースターとしての身のこなしをこまかくレクチャーしてくれた。
“カミソリのラモン”に変身したホールは、“大型新人”としてのデビューから10年めにしてようやくWWEの“おもな登場人物”の仲間入りを果たしたのだった。(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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