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NHK大河で話題の「井伊直虎・男性説」を解説 ~実は2つの可能性が考えられる!?

徳政令の花押を著したのが小野政次という可能性

 しかし、もとより直虎の男性説は厳密には2つ考えられ、その一つが「小野政次の井伊直虎」説である。井伊達夫氏の説を置いておき、まずはこちらの解説から取り組んでみたい。  冒頭で、井伊直虎が徳政令を実施し、その後、小野政次が下剋上で地頭職を奪った――と著した。  このとき発布された徳政令の承認書には「花押」が署名されているが、そもそも「花押」は身分の高い男性しか用いることができず、女性の直虎が書いたものではないという考え方である。 ⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1268744
徳政令承認書

「次郎直虎」花押が掲載された徳政令承認書。蜂前神社前の祝田地区コミュニティー防災センター掲示板にて(現在、蜂前神社にはトイレがなく、この施設のトイレをお借りしている)

 では、署名主は誰なのか? その第一候補に挙げられるのが小野政次というワケだ。  小野氏の出自には2つの説がある。  1つは小野(浜松市浜北区尾野)に住んでいた小野篁(9世紀の天才的貴族)の後裔とする説で、もう1つは小野(浜松市北区細江町小野)に住んでいた井伊家庶子家とする説。しかし、小野氏の名前が井伊氏の系図には載っていないことから、現段階では小野篁の後裔説の方が有力と思われる。  確かに、大河ドラマの時代考証を務める大石泰史氏は、御著書『井伊氏サバイバル五〇〇年』(星海社:2016年10月)の中で、「英比信濃守小野氏信」という人物に注目、「英比(えいひ・いひ)」は「井伊」であり、「信濃守」は井伊直平や直盛が使っている受領名で、更には中野越後守直由も井伊直親の後見人に指名された時に同名を名乗ったことから、小野家が井伊家庶子家であるとしている。  しかし、そもそも小野氏が井伊家庶子家であれば、井伊家嫡流に男性がいなくなった時点で宗主となり、堂々と井伊次郎直虎と名乗っても良さそうである。そうでなかったということは、やはり小野政次が今川家の後押しで井伊家の宗主となり、仮に政次が直虎の正体だとすれば、徳政令に「次郎直虎」として花押を書いたのであろう。
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『雑秘説写記』という書物の中に「井之次郎」
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井伊氏サバイバル五〇〇年

井伊氏はなぜ生き延びられたのか?直虎・直政の実像は?大河ドラマ『おんな城主 直虎』時代考証担当者と辿る、激動の五〇〇年史!

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