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“モントリオール事件”の真相=ブレットの主張――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第272回(1997年編)

 WWEとブレットが交わしていた20年契約の契約条項のなかには①30デー・ノーティスと②クリエイティブ・コントロールというふたつの条文が含まれていた。①はブレットが契約破棄、または退団・引退を希望した場合は“30日前までの通告”により契約期間中でもその途中解除が可能になるという条項で、②は①の権利を行使する場合、ブレット自身が考えるところの創造的なアイディアで「“ヒットマン”ブレット・ハートのキャラクター(の名誉)を守ることができる」というものだった。  ミーティングは10月21日、10月24日、10月31日にもおこなわれ、この3回のミーティングでは11.9“サバイバー・シリーズ”、12.7“イン・ユア・ハウス19”、1998年1月8日に予定される“ロイヤルランブル”までのPPV3大会のアウトラインが協議された。10月24日のミーティングでブレットはビンスに「WCWからの具体的なオファーはない」と伝え、10月第4週から1週間の日程でバーレーン・ツアーに出発した。  エリック・ビショフWCW副社長がブレットの携帯電話に連絡を入れてきたのは10月31日だった。ビショフが提示した条件は、年俸300万ドル&マーチャンダイズ歩合契約&年間拘束日数120日限定というものだった。WCWサイドが希望する契約締結日はそれから1カ月後の12月1日。ブレットがWCWと契約を交わすためには11月1日までにWWEに“30日通告”を行使する必要があった。
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ビショフと電話会談を持った翌朝(11月1日)
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