ビンスの選択“WCW買収”はこうして成立した――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第334回(2001年編)
TBSは、同局がまだアトランタのローカル・チャンネルだった1972年から約30年間にわたりプロレス番組をオンエアしてきたが、その歴史と伝統はたったひとりのプロデューサーの手で“消去”されたのだった。
テレビ番組自体が存在しなくなるWCWは、投資会社であるフュージェント社にとってはすでに買収する意味のない会社だった。同年2月、TBSサイドからスチュー・スナイダーWWE執行取締役(当時)に“非公式”な文書として送られてきたFAXには「われわれはビショフには(WCWを)売らない」とだけ記されていた。
いっぽう、WWEは2000年9月、USAネットワークとの契約を更新せず“ロウ・イズ・ウォー”“ライブワイヤー”“スーパースターズ”の3番組の放映チャンネルをTNN(ザ・ナショナル・ネットワーク)に移行。それまで年間550万ドル(約6億500万円=当時)程度だった“ロウ”の放映権料をその5倍以上の2800万ドル(約30億8000万円=同)に引き上げることに成功した。
1999年8月から2000年8月まで1年間、ECWの1時間番組をオンエアしてきたTNNは、WWEとの契約と同時にECWとの契約を破棄。全米放映のTVショーを失ったECWは、2001年1月13日、アリゾナ州パインブラフというちいさな町でおこなわれたノーTVのハウスショーを最後に約8年間の活動にピリオドを打った。
WCWの内部崩壊とECWの倒産はまったくリンクしていないふたつの異なるできごとのようにみえて、“TVマネー”とテレビ局のプロデューサーの意向がプロレス団体の息の根を止めたという点ではひとつの事件だった。
21世紀がはじまったとたん、アメリカのレスリング・ビジネスの勢力分布図が大きく変わった。
TBSから“非公式”なアプローチを受けたWWEはWCW買収に動き、2001年3月、250万ドル(約2億7500万円)の“超安値”で映像ライブラリーを含むWCW保有のすべての版権・著作権・知的所有権を買い上げた。
ビンス・マクマホンは「退屈な勝利」とつぶやいた――。(つづく)
https://nikkan-spa.jp/inquiry)に! 件名に「フミ斎藤のプロレス講座」と書いたうえで、お送りください。
※この連載は月~金で毎日更新されます
文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
※斎藤文彦さんへの質問メールは、こちら(1
2
この連載の前回記事
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ