ウォリアーズがやって来たヤァ!ヤァ!ヤァ!――フミ斎藤のプロレス読本#018【ロード・ウォリアーズ編3】
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
1985年
ロード・ウォリアーズは、その特異なキャラクターとそれまでのアメリカのプロレス・シーンでは類をみなかった超バイオレンス殺法を売りものに、ものすごいスピードでスーパースターの座へかけ上がった。
まるで突然変異のような“ウォリアーズ現象”を生んだ原動力は、そのファイトスタイルも大きなウエートを占めていたが、もうひとつは顔にほどこされたウォー・ペイントと呼ばれるペインティングであったことは疑う余地がない。
黒、赤、イエロー、そしてときとしてミントグリーンのペインティングでリングに登場してくるウォリアーズに、アメリカの観客は「こいつら、素顔はどんな顔なんだろう」と素朴な疑問を抱き、みごとなまでにビルドアップされた肉体に激しい驚きをおぼえた。
その意味では、ウォリアーズは正体不明のマスクマンと同じような神秘性を感じさせるタッグチームということになる。
3月7日、ノースウエスト9便で成田空港に降り立ったホークとアニマルは、トレードマークのモヒカン刈りをバンダナですっぽりと覆い、もちろんノーメイクで税関の入国審査をすませた。
ウォリアーズをマスクマン的な感覚でとらえるとするならば、ペインティングをしていない姿を写真に撮ることはできない。
ホークとアニマルは、南ウイングの到着ロビーに出てくるとそのままトイレに直行し、すばやく顔に“隈どり”をして報道陣のまえに現れた。
VIP特別室でおこなわれた記者会見に姿をみせたウォリアーズのペインティングは、時間的な余裕がなかったせいか、黒一色のシンプルな模様だった。
共同インタビューのなかで、ウォリアーズはペインティングが彼らの「フィーリングを表現する方法」であり、その日の気分によって「デザインも異なる」と説明した。成田空港でのふたりのペインティングはやや淡泊なものだった。
来日第1戦(3月8日)、千葉・船橋大会でキラー・カーン&アニマル浜口と対戦したウォリアーズは、ペインティングが汗でにじむまえに“秒殺モード”で浜口を流血させて勝負を決めた。
両国国技館(3月9日)でジャンボ鶴田&天龍源一郎の鶴龍コンビと対戦したときは、いつもよりも丹念に塗ったペインティングが試合中にドロドロと流れ落ちてしまった。これは単なる偶然ではなかった。
この日、試合開始から2時間ほどまえ、外国人選手側のドレッシングルームをのぞいてみると、ホークとアニマルはペインティングをしていない素顔の状態でスポーツバッグを枕にして昼寝をしていた。よく見ると、眠ってはいなかった。ただなんとなく、ゴロゴロしているようだった。
初めての海外ツアーで、滞在3日めあたりになると、どっと時差ボケが出てくるのだろう。マネジャーのポール・エラリングは、不機嫌そうな、むずかしい顔で『ウォールストリート・ジャーナル』を読んでいた。
恐る恐るアニマルに週刊プロレスの最新号を渡した。アニマルはこっちをジロッとにらみつけてからぶっきら棒にそれを受け取ると、カラーグラビアのページをペラペラとめくっていった。
ひととおり目を通してから、こちらに返そうとするので、ぼくが「差し上げます」というと、アニマルは「あ、そう?」という感じで雑誌をバックのなかにを放り込んだ。
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