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ある女性アーティストの奮闘を通じて「男女の差」とは何かを考えてみた<カリスマ男の娘・大島薫>

 見た目は美女でも心は男――。「カリスマ男の娘」として人気を博し、過去には男性なのに女優としてAVデビューを果たした大島薫。女性の格好をしたまま暮らす“彼”だからこそ覗ける、世の中のヘンテコな部分とは?

kathmiさん

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 作品に作者のパーソナリティは必要か。

 先日12月4日に、デジタルアート作品で競い合う「LIMITS Eastern League」の第2戦が東京カルチャーカルチャーにて開催された。

 これは油絵や日本画といった、いわゆる紙に筆などを使って描くアナログ絵ではなく、PCのソフトを使ってイラストを描くデジタル絵の祭典だ。普段はデジタルイラストを生業とするイラストレーターやグラフィッカーなどが集い、アートで競い合う。

 各対戦でテーマに沿ったイラストを描き、会場投票、ネット投票、そして審査員投票の合計得点で勝敗が決まるのだが、テーマはバトル直前に決定され、与えられる時間も20分間という非常にシビアな戦いだ。

 そして、各予選を勝ち抜き世界大会で勝利をおさめた優勝者は賞金500万円を手にする。かかっている予算も、世界的に行っているという点で見ても、デジタルアートの大会としては類を見ない規模だ。

 ボク自身、昔は画家を志していたことがある。いまこのような仕事をしているわけだから、当然それは挫折したわけだが、そのときはそれなりに本気で夢を見ていたものだ。画家ではなく、いま現在は作家として活動をするなかで、ふと考えることがある。

 果たして、作品に作者のパーソナリティは必要だろうか。

 こんな経験はないだろうか? とある作家の小説が好きで、毎回読んでいるたびに、作品だけでなくそれを書いている作家本人の経歴や、人となりに興味を持ってしまったというようなこと。もしくは、巨匠と呼ばれるような有名な画家の作品を気に入ったところで、果たしてどんな生涯を経てきたのかが気になってしまうこと。

 他人が真似できないような唯一無二の作品を作れる人というのは、その生涯も他人とはまったく違う波乱万丈な人生を歩んでいるように思える。逆に大天才といわれるような人が平々凡々な人生を送っていると、「なんだそんなものか」とがっかりしたりする。

 しかし、これはよくよく考えれば、おかしな話だ。作品が良ければいいし、悪ければ悪いだけのこと。発表された作品がすべて。なのにボクらはある一定の興味のラインを超えると、その裏にいる書き手、作り手に興味が沸く。

 似たような話で、ボクの友人に漫画家の「佃煮のりお」さんという女性がいるのだが、女性なのにあえて「のりお」という男性名だと勘違いされるようなペンネームを選んでいる。以前、その理由を尋ねたところ、こんな言葉が返ってきた。

「女性名にするとたまに『あいつの作品は女だからダメなんだ』というようなことを言う人がいて、性別で作品まで判断されたくないから男性名にしたんです」

 まったくもって、難儀なことだ。どうして作者の性別が作品の良し悪しまで決定するのか。しかし、それだけ多くの人が作者のパーソナリティに興味があるということかもしれない。

 さて、本日は同じく男性社会になりがちなアート業界に咲く紅一点、LIMITS第2回大会の1回戦で見事勝利を飾ったkathmiさんにお話をお伺いしながら、作品と作者について探っていこうと思う。

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一人の女性がアーティストを目指すということ

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