この残酷な現実を生きる「12のルール」とは? 北米で大ベストセラーに
虚勢でもいいから機嫌よくいるのは「責任」
だからピーターソンは成功や失敗という言葉を一面的にしか解釈しない風潮に疑問を投げかけている。成功といえば全てうまく行っていることしか意味せず、失敗とは回復不能なほど悪い出来事だと早とちりする。このように語句が本来持つグラデーションを無視して、意味をデジタルに振り分けてしまうこと。これがナイーヴで無粋であるのみならず、私達の生を不必要に不自由にしていると論じるのだ。 <この世界に存在するための方法はいくらでもある。もしあるキャリアにおいて思ったような成果が得られなかったとしたら、別の道を模索すればいい。あなたならではの長所、短所、立場にマッチする他の何かが見つかるだろう。 もしそれで解決しなかったとしても、あなた自身で新しい道を作ってしまえばいい。> (p.88 RULE 4 Compare yourself to who you were yesterday, not to who someone else is today 筆者訳) 先ほどのロブスターの話同様、これだって“そうすれば幸せになれる”といった話ではない。しかし、たとえ報われなかったとしても、うなだれて打ちひしがれているのに比べたら、虚勢を張ってでも快活にしていた方があとあと良い思いができる確率は増すかもしれない、という程度の話なのだ。 しかし、その差は大きい。ウソでもいいから機嫌よくいることは、自分のためだけでなく、他者に余計な気を使わせないための気構えでもあるからだ。それが個人が社会に対して取るべき責任なのである。
彼を“極右”と呼ぶ人もいるが……
最後にそんなピーターソンの立ち位置を紹介しよう。人文系の教員でありながら、“フェミニズムや黒人研究のような新マルクス主義的ポストモダニズムの科目ばかりになってしまったから予算は削減されても仕方ない”と表明したことで、キャンパスでは学生による“反ピーターソン”デモが起こったという。彼を極右と呼ぶ人さえいる。 しかし、“反フェミニズム”のフェミニスト作家、カミール・パーリアからは、「マクルーハン以来、最も重要なカナダ人の思想家」と評されている。 思想の左右を問わず、全体主義的な思考から個人を守る道を模索しているピーターソンがこのように異端の存在であること自体、現代の混乱を象徴しているのかもしれない。<TEXT/石黒隆之>音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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