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自分の個性とは「なりたい」より「やりたい」ことから見えてくる

いまの仕事楽しい?……ビジネスだけで成功しても不満が残る。自己啓発を延々と学ぶだけでは現実が変わらない。自分も満足して他人にも喜ばれる仕事をつくる「魂が燃えるメモ」とは何か? そのヒントをつづる連載第83回

小説 東大生になりたいのに勉強しない。イラストレーターになりたいのに絵を描かない。小説家になりたいのに小説を書かない。こうした矛盾を作り出すのが「羨ましさ」です。

「羨ましさ」からくる努力はほとんど実りません。努力の方向性がズレてしまうからです。個性は手が動きますが、羨ましさは目が動きます。勉強せずに勉強法について読み漁る。絵を描かずにイラスト技法について読み漁る。小説を書かずにシナリオ作法について読み漁る。どれも手を動かさず、目を動かしています。

 私の場合、それは小説家でした。私はずっと小説家を夢見ていました。そのためにたくさん勉強しました。しかしある日、自分がそんなに小説を書いていないことに気づきました。周りから見たら一目瞭然かもしれません。でも、自分ではなかなか気づけませんでした。

 一方で自己啓発については、何も考えなくても自然と手が動きました。ブログも書くし、セミナーも開くし、動画も配信するし、教材も作ります。そのために徹夜もするし、作業も当たり前にこなせます。そして、その仕事が相手に喜ばれます。私は自分の個性をそこに見出すことができました。

 小説も自己啓発も中学生の頃から魅了されてきた世界です。しかし小説は実らず、自己啓発は仕事になりました。その違いが「羨ましさ」と「個性」です。

目標があるのに行動できないのはなぜか?


 人にはそれぞれ個性があります。しかし、それになかなか気づけません。自分の個性は地味に見えるからです。当たり前すぎて、そこに価値を見出せません。誰かに「なんでそんなことができるの?」「なんでそんなことがわかるの?」と驚かれて、「いやなんでって言われても別に」と戸惑うあたりから、それが自分の個性だとようやくわかってきます。

 私は自己啓発をずっと追いかけてきましたが、そこに特別なものは感じていませんでした。それについて調べ、考え、行動するのが当たり前だったからです。「東大生になりたい」「イラストレーターになりたい」「小説家になりたい」といった「なりたい(want to be)」は羨ましさです。「勉強したい」「絵を描きたい」「小説を書きたい」と言った「やりたい(want to do)」は個性です。

 自分の何が羨ましさで、何が個性なのか。その区別は容易ではありません。「羨ましさは目が動き、個性は手が動く」という定義を知っていても区別できません。羨ましさにすっかり魅了されていて、それが自分には不向きだとなかなか認められません。かといって実を結ぶような、手を動かす努力もできない。その板挟みで「自分は無能な人間だ」と悩まされます。

 また「本当はずっとやりたかったけれど、なぜかやってはいけないと思っていた」というケースもあります。大抵は誰かに「そんなことして何になる?」となじられたのが原因です。そうして、人は時に遠回りを強いられます。

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そうした時間は愚かでも無駄でもありません

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