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“カウボーイ”ボブ・オートン レスラー仲間からリスペクトされたバンプ=受け身――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第65話>

 再来日はそれから7年後(1982年=昭和57年10月)で、WWEと業務提携を結んでいた新日本プロレスのリングに初登場。このときはリングネームから“ジュニア”が削除されていた。  藤波辰爾が保持していたWWEインターナショナル王座に挑戦したこともあった(1984年=昭和59年11月1日、東京体育館)。  WWEではメインイベンターのすぐよこに立っている“名わき役”ではあったが、“単品”のスーパースターとしてのプログラミングは用意されなかった。  パイパー、オーンドーフ、スヌーカらのフェードアウトとほぼ同時にWWEのリングから姿を消し、1988年(昭和63年)には“海賊男”ビリー・ガスパーの正体として新日本プロレスのリングで活躍した。  エルボー・スタッブの落とし方、ニードロップに入るときの独特のモーションはやはり隠し切れず、後楽園ホールではマニア層のファンから「お前、オートンだろ」とヤジが飛んだ。  息子のランディ・オートンがWWEのメインイベンターになると、2005年にはランディのマネジャーとして古巣に復帰。同年、WWEホール・オブ・フェームで殿堂入りを果たした。 ●PROFILE:“カウボーイ”ボブ・オートン“Cowboy”Bob Orton 1950年11月10日、フロリダ州タンパ生まれだが“公称”カンザスシティー出身。父親は“ビッグO”ボブ・オートンで、息子はランディ・オートン。現在でも年に数回、試合をする“セミ現役”。2005年、WWEホール・オブ・フェームで殿堂入り。 ※文中敬称略 ※この連載は月~金で毎日更新されます 文/斎藤文彦
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