ザ・グレート・ムタ アメリカのMUTAと日本のムタ――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第77話>
翌1990年(平成2年)3月に帰国した武藤を待っていたのは“武藤敬司”と“グレート・ムタ”の同時進行というひじょうにやっかいなテーマだった。
WCW在籍時代のムタの試合はじつは武藤のそれとまったく同一のもので、素顔の“武藤”が存在しないアメリカのリングではふたつのキャラクターのちがいを意識したことがなかった。
日本の観客のまえで“武藤”と“ムタ”を演じ分けなければならなくなった武藤は、“ムタ”を幻想的な完全ヒール・バージョンに創りなおし、リング・コスチュームもペインティングもマイナーチェンジをくり返した。
武藤は「ほんとうはムタは日本ではやりたくなかった」とコメントしたが、それがムタの本音だったのかもしれない。
ムタはムタとしてIWGPヘビー級王座を手に入れ、武藤は武藤としてIWGPヘビー級王者になった。
2000年(平成12年)、武藤は新日本プロレスとの年間契約をペンディングし、約10年ぶりにWCWと契約。
フルタイムのムタとして約半年間アメリカをツアーしながらWCWのエピローグを目撃し、スキンヘッドにイメージチェンジして日本に帰ってきた。
新日本プロレスから全日本プロレスへの移籍は“新しい武藤敬司”の1ページだった。武藤は“プロレス芸術家”として作品づくりをつづけ、ムタはその作品のなかのお気に入りのひとつになった。
2013年(平成25年)、全日本プロレスを退団して新団体WRESTLE-1を設立。現在は“限定出場”という形で現役生活をつづけている。
●PROFILE:グレート・ムタThe Great Muta
1962年(昭和37年)12月23日、山梨県出身。本名・武藤敬司。1984年(昭和59年)10月5日、埼玉・越谷でデビュー(対戦相手は蝶野正洋)。1985(昭和60年)年11月、フロリダ武者修行に出発。1986年(昭和61年)10月、帰国。1988(昭和63年)年、再渡米。プエルトリコ、ダラスWCWをサーキット後、WCWと契約。1990年(平成2年)3月、帰国。2002年(平成14年)2月、新日本プロレスから全日本プロレスに移籍。同年10月、社長就任。2013年(平成25年)、全日本プロレスを退団し、新団体WRESTLE-1を設立。限定出場という形で現役生活をつづけている。
※文中敬称略
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文/斎藤文彦
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