更新日:2022年12月30日 09:32
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ザ・ロック ハリウッドが求めたチャンピオン――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第88話>

 映画俳優転向はテレビシリーズ『スタートレック ヴォイジャー』にゲスト出演したことがきっかけだった。『ザ・マミー』『ザ・マミー・リターンズ』でのその演技力が認められたロックは『ハムナプトラ2 黄金のピラミッド』に出演し、同作品のスピンオフ企画『スコーピオン・キング』で初めて主演男優のポジションをゲットした。  その後は『ランダウン』(2003年)『ウォーキング・トール』(2004年)といったアクション映画に主演した。『ランダウン』の冒頭シーンでは、ナイトクラブのドアのそばで店内に入っていくロックと外へ出ていくアーノルド・シュワルツェネッガーが一瞬だけすれ違い、シュワルツェネッガーがロックに「楽しんでいけよHave fun」と声をかけるシーンがあった。  カリフォルニア州知事となって俳優としての仕事を休業したシュワルツェネッガーは、エンドロールの出演者クレジットには登場しない“カメオ出演”でロックにエールを送った。ハリウッドがアクション・スター、ドゥエイン・ジョンソンに大きな期待をかけていることの証明だった。  コメディ映画『ゲット・ショーティー』の続編となる新作『ビー・クール』(2005年)ではジョン・トラボルタ、ユマ・サーマンと共演し、初めてコメディーを演じた。  プロレスラーのロックではなく、売れっ子のハリウッド・アクターになったドゥエイン・ジョンソンは過去15年間で劇場公開映画30作品に主演。いまではドゥエイン・ジョンソンがかつてWWEスーパースターだったことさえ知らない映画ファンがたくさんいる。  プロレスを捨ててしまったのかといえば、もちろんそうではない。リングに上がらなくなったロックは、プロレスラーから純粋なプロレスファンに戻ったのだという。  ロック――ドゥエイン・ジョンソン――が持ち歩いているブリーフケースのなかには映画の台本、パソコン、書類などといっしょにプロレスのDVDが何本か放り込まれていて、ホテルの自室ではいつもプロレスの映像をながめているらしい。  ストーンコールドと最後の決闘を演じた“レッスルマニア19”から8年後――ミック・フォーリーとのタッグで翌年の“レッスルマニア20”にも出場――、ロックはオープニング・ホストとして“レッスルマニア27”にゲスト出演(2011年4月3日、ジョージア州アトランタ、ジョージア・ドーム)。  翌年の“レッスルマニア28”では、プロレスラーのザ・ロックとしてジョン・シーナとの夢のシングルマッチを実現させた(2010年4月1日=フロリダ州マイアミ、サ・ライフ・スタジアム)。  プロレスと映画のどちらが欠けてもロックはロックでなくなるのだろう。1年にいちどだけ“レッスルマニア”のリングに上がることができたら、それがいちばんの幸せなのである。 ●PROFILE:“ザ・ロック”ドゥエイン・ジョンソン“The Rock”Dwayne Johnson 1972年5月2日、カリフォルニア州ヘイワード出身。本名ドゥエイン・ジョンソン。1995年、デビュー。WWE世界ヘビー級王座&世界ヘビー級王座通算9回保持。得意技はロックボトム、ピープルズ・エルボー。ニックネームは“ピーピルズ・チャンピオン”。トレードマークは、眉をピクッとつり上げてみせる“ピープルズ・アイ・ブラウ”。 ※文中敬称略 ※この連載は月~金で毎日更新されます 文/斎藤文彦
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