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26歳の若者が見たドヤ街・西成…筑波大学卒業後、就職できず無職に

“居場所がある”ということ

 この街が、いろんな人たちの受け皿になっていることは間違いないだろう。 「機械を操縦する資格やスキルをもっている人はいいですが、中には私のようになにもない人だっています。とはいえ、仕事がないかといえば、そうでもない。“だれでもできる仕事”だってあります。ショベルカーでやれば5分で終わる作業を、わざわざ1日かけて手作業でやります。たとえば、私はゴミを土のうに詰めるだけの仕事を腰の曲がった老人といっしょにひたすらやっていました。作業中に老人が転倒してしまいツラそうだったので、思わず休ませてあげようとしたのですが、逆に『余計なことはするな』と怒られてしまいました。ここで私が代わりにやってしまうと、彼の仕事を奪うことにもなってしまう……」  國友氏は、複雑な気持ちだったというが、そこで「居場所があることの大切さ」を学んだという。裏を返せば、居場所を作ることでお金が稼げるとも言えるのだ。 「だから、非効率も悪くないというか……。私自身いまは若くて健康ですが、将来は年を取って老人になりますし、病気や怪我などなにがあるかわからない。世の中には、さまざまな問題を抱えて“だれでもできる仕事”しかできない人だっていることに気づいたんです。西成にはそういった“ワケあり”の人たちがたくさんいました」
國友公司

大学の卒論は、新宿のホームレスをテーマに書いたという

 当初は「自分でも“西成の人たちとは違う”というプライドがあった」という。しかしながら、自分も同じように“ワケあり”だと気づいたそうだ。 「冷静に考えると、就職に失敗して、本が書けるのかもわからない状態。実際に働きながら住んでいるうちに、“自分がたいした人間じゃない”ということを素直に受け入れるようになりました。すると、少しずつ本当のことを話してもらえるようになって。もしも私が見栄を張ったままだったら、だれも仲良くしてくれなかったと思います」
西成

西成の象徴のひとつと呼べる“三角公園”(写真提供/國友公司)

 こうして國友氏は、西成での体験を『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』(彩図社)に綴っている。とはいえ、現地で知り合った人からは『西成のことなんてさっさと忘れて先に進め』と言われたそうだ。 「西成には、私が小学生だった頃から、ずっと土のうを引きずり続けてきた人だっていました。そう考えると、すごいなって。見下すわけではありませんが、私なら無理だなって。逆に、私のような平凡な人間がいてはならない、むしろ選ばれた人しかいてはならない場所だって思いましたね」<取材・文・撮影/藤井敦年>Web/雑誌編集者・記者。「men’s egg」編集部を経てフリーランスとして雑誌媒体を中心に活動。その後Webメディア制作会社で修行、現在に至る。主に若者文化、メンズファッション、地下アイドル、社会の本音、サブカルチャー、エンタメ全般を取材。趣味は海外旅行とカメラとサウナ。Twitter:@FujiiAtsutoshi
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ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活
ヤクザ…、指名手配犯…、博打場…、生活保護…、マイナスイメージで語られることが多い、あいりん地区。ここで2カ月半の期間、生活をしてみると、どんな景色が見えてくるのか? 西成の住人と共に働き、笑い、涙した、78日間の体験ルポ。

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