雑学

僕は誇りたい。パワーショベルでダンスをした父を――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第19話>

 昭和は過ぎ、平成も終わりゆくこの頃。かつて権勢を誇った“おっさん”は、もういない。かといって、エアポートで自撮りを投稿したり、ちょっと気持ちを込めて長いLINEを送ったり、港区ではしゃぐことも許されない。おっさんであること自体が、逃れられない咎なのか。おっさんは一体、何回死ぬべきなのか――伝説のテキストサイト管理人patoが、その狂気の筆致と異端の文才で綴る連載、スタート!

patoの「おっさんは二度死ぬ」【第19話】穴を掘る人

幼かった頃、父親の仕事が嫌いだった。

うちの父親は建設系の自営業を営んでいて、いつも泥だらけだった。汚い作業服に泥や塗料の付いた手、ところどころ火傷や傷跡の残るその手は子供心に少し嫌悪を感じるものだった。

他所の家のお父さんは、バリっとスーツを着て仕事にいってたり、同じ自営業でも商店を営んでいたりと随分と違っていた。早い話が、綺麗だったのだ。泥だらけになって働く父親を恥ずかしいとすら思っていた。

ある時、小学校の道徳の授業で「ドカタの親方」という題材が取り扱われることになった。父親の仕事がいわゆるドカタである子供が同級生に「やーい、ドカタの親方」と揶揄される内容だ。今でも強烈にあのフレーズは覚えている。「やーい、ドカタの親方」である。

その道徳の教科書に配置された挿絵は、泥だらけになって穴を掘るタケシ君のお父さんの姿であった。まさしくうちの父親である。

道徳の授業自体は普通に「どんな職業でも差別してはいけません、職業に貴賤はありません」という内容だったが、それはまあ見事に逆効果で「ドカタの親方は差別される対象である」という鮮烈な認識を皆に植え付けただけだった。当然、僕もあの教科書のタケシ君のように「やーい、ドカタの親方」と揶揄されるようになった。

なかなか屈辱で衝撃だったのを今でも覚えている。

「どうしてドカタの親方なの?」

悩みぬいた僕は父親にそう言ったことがあった。

なぜもっと綺麗な仕事をしないのか。もっと人に自慢できる仕事をしてくれないのか、そんな気持ちだったと思う。今思うと、その言葉に父親はさぞかし心を痛めたのだろうと思う。いや、そんなことはなかった。たぶん全然痛めてなかった。

うちの父親は多分に頭が狂っているおっさんだったので、そんな僕のセリフをものともしなかった。

「あのな、自営業なんて名乗ったもの勝ちだぞ」

父親の主張はこうだった。何が勝ちなのか全然理解できないが、そう言った。

自分はこうして穴を掘る仕事をしているが、それが“ドカタ”だと誰が決めるのだろうか。そう、それは自分だ。自分でドカタだと決めればドカタだ。ソバ屋だと決めればソバを作ってなくともソバ屋だ。自営業とはそういうものだ。父親はそう主張した。

サラリーマンや公務員なんてものはその職業しか名乗れない。つまり周りが職業を決めるのだ。けれども、自営業は違う。自分で決めるのだ。

自分でそうだと自覚して名乗ってしまえばそうなのだ。綺麗な職業だって、かっこいい職業だって、自分がそうであると信じて名乗ればそうなるのだ。

「なにがいいんだ? ん?」

父親の表情はずいぶんと挑発的だった。そしてそれが途方もない事態を引き起こした。

当時は今ほど個人情報に対する考え方が厳しくなく、あらゆる意味でオープンな時代だったので、小学校でも中学校でも高校でも、同じ学年全員の住所と電話番号、保護者の名前と職業が記載された名簿が配布されるとんでもない時代だった。

たぶんこの時のことが原因なのだろう、この種の名簿の僕の父親の職業欄は常に「ダンサー、作曲家」と書かれていた。父親が好きに名乗って書いてるのである。高校までずっとだ。

きっと、あれは父親からの復讐だったのかもしれない。父親の職業を恥ずかしいと思う僕への戒めなのだろうと思う。

その名簿が配られるたび、ダンサーの息子、作曲家の息子と揶揄されるようになったのだった。これならドカタの親方の方がいくぶんマシだったように思う。

話が逸れてしまったが、いくら本人がダンサーや作曲家と名乗ろうとも、やはり本質は泥だらけのドカタの親方なのである。小学生だった僕は本当に嫌だった。

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そこに親父は現れた、アレに乗って

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