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お弁当をあけたら中身は現金200円だった…働きづめだった母の機転に感謝

 幼少時代、貧困だった人間にも、苦労を笑顔に変えるご馳走があった。母が、父が、祖母が作ってくれたその料理は、質素でありながらも、彼らにとって忘れることのできない思い出として残っている。そんな「貧困飯」を、悲しくも愛情に満ちた数々のエピソードとともに紹介する感動企画。  飽食の時代といわれる昨今とは違い、昭和の食卓には貧しさに抗うべく手作り料理のアイデアが溢れていた。世代ごとに異なる貧困飯。当時の世相と合わせて振り返ってみる。
現金200円弁当

《現金200円弁当》弁当の中身に5円玉や1円玉が多いときは「いつもより家の経済状態が悪いんだな」と末永さんは子供心に感じていたという

妙に軽かった弁当の中からジャラジャラ音がして……

末永幸平さん(仮名・40歳・大阪府生まれ・団体職員) 「小学3年のときに引っ越した公団には子供会のソフトボールチームがあって、入らないと団地でハブにされる。それで、いやいや入ったんです」  土日は朝9時から暗くなるまで練習だったという末永さん。 「父親は、まあ、酒飲んでケンカするヤンチャな大人で、母親が働きづめで生活を支えていました。土日も母親は働いていたんで、ソフト練習のたびに弁当を作るのは負担だったと思います」  ある日、練習の昼休憩で、母親に持たされた弁当を出した。 「妙に軽いんですよ、弁当が。それに中からジャラジャラ音がする。開けてみると、中に現金200円だけが入っていた。ホント、ずっこけましたよ」  当時、安いパンは70円くらい。150円あれば2個のパンが食べられたというが。
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母親の苦労にも感謝
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