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サッカーW杯ギリギリで落選した選手たち。あのとき代表に選ばれていたら…

 昨年6月、日本代表の大躍進で注目を集めたサッカーW杯。2大会ぶりのグループステージ突破に加え、現在(今年2月7日発表)のFIFAランキングで1位の強豪国・ベルギーを、あと一歩のところまで追い込んだその雄姿に感動した方も多いのではないか。
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現在監督を務める森保一氏は、去年のW杯にコーチとして帯同。W杯を知る監督として、今後に期待が高まる(画像は日本サッカー協会公式サイトより)

 そんなW杯は、登録選手の定員が23人と決まっているため、選手発表の際には毎回「サプライズ当選」、「サプライズ落選」という形で世間を賑わせることになる。そこで今回は、過去にW杯アジア最終予選などで活躍したものの、残念ながら本大会では日本代表から落選してしまった選手たちを紹介していこう。

中村俊輔(ジュビロ磐田)

 まずはこの人、中村俊輔。日本のみならず海外でも長く活躍しており、その左足から放たれるフリーキックは、世界的強豪「マンチェスター・ユナイテッド」からも点を奪ったことがあるほど。イギリスメディア「sportskeeda」は、彼を世界の現役選手のなかでフリーキックキッカーとしてはトップ10に入ると評価した。
中村俊輔

世界的に有名なロナウジーニョやカカ、ピルロといった選手たちも、中村のフリーキックを絶賛している(画像は中村俊輔公式サイトより)

 しかし、そんな中村でもW杯の代表落ちという苦い過去を持っている。2002年の日韓W杯で、当時23歳だった中村は、長らく代表に呼ばれていなかったベテランのFW中山雅史やDF秋田豊らに押し出される形で落選。  中村のフリーキックという武器があれば、日本はベスト16でトルコに敗れることなく、もっと上位に進出できたかもしれない――当時は、そう考えていたファンも多いのではないだろうか。  だが当の本人は、2年前のインタビューで「W杯は短期間の大会だから、自分ではなく秋田さんやゴンさん(中山)らベテランを呼んだのは、今ならよくわかる」という旨を語っており、当時の代表選考に理解を示している。  今なお、ジュビロ磐田で現役生活を続ける中村。昨年は怪我の影響もありなかなか活躍できなかったが、現役最年長J1リーガーとなった今年は、また美しい放物線を描くフリーキックを見せてくれることを期待したい。

久保竜彦(元横浜F・マリノス)

 かつて“ドラゴン”の愛称で親しまれた久保竜彦も、2006年のドイツW杯で落選を経験している。  とはいえ彼の場合は実力が足りなかったわけでも、ベテランに押し出されたわけでもなく、落選理由はただ明白……怪我だった。代わりにサプライズ招集された巻誠一郎とあわせ、当時のことを記憶している人も多いのではないか。
久保竜彦

引退後は指導者として小学生の育成にも携わった。靴はスパイクとビーチサンダルしか持っていないとか(画像は久保竜彦公式サイトより)

 日本人離れした跳躍力、身体の柔らかさから来るしなるように振り下ろされる足。その過去に類を見ない身体能力で日本代表のエースを務めていた久保は、W杯でも活躍が見込まれていた。当時の日本代表監督だったジーコからも厚い信頼を寄せられており、何度も監督室に呼ばれては話し合いをするほどだったという。  そんななか、高すぎる身体能力についていけなくなっていった久保の身体は徐々に悲鳴を上げ始め、腰や足首をたびたび故障するように…。ジーコ監督も、メンバー発表のギリギリまでエースをW杯に連れていきたいと強く願っていたが、メディカルスタッフに「久保の選手生命に関わる」と諭されて仕方なく諦めたということを、のちのインタビューで語っている。  W杯前の親善試合で、当時黄金世代と言われたチェコ代表から点を取り、世界を驚かせていた久保。そんな“ドラゴン”がW杯で大暴れする姿を、一目見たかったものだ。
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ボルトよりも俊足な選手も落選!?
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