更新日:2023年03月12日 09:19
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人は時に、不条理な行動をする。メイド喫茶での途切れぬライブオーダーの果てに――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第36話>

 昭和は過ぎ、平成も終わりゆくこの頃。かつて権勢を誇った“おっさん”は、もういない。かといって、エアポートで自撮りを投稿したり、ちょっと気持ちを込めて長いLINEを送ったり、港区ではしゃぐことも許されない。おっさんであること自体が、逃れられない咎なのか。おっさんは一体、何回死ぬべきなのか——伝説のテキストサイト管理人patoが、その狂気の筆致と異端の文才で綴る連載、スタート! patoの「おっさんは二度死ぬ」【第36話】福岡のメイド喫茶という地獄  あれはなんだったのだろうか、と寝る前に思い出すことがある。  あの日、あの時、あの人の言葉は何だったのだろうか、あの行動はなんだったのだろうか、というやつだ。思うに、基本的に人間の思考ってやつは理論的にできているはずだ。まあ、理論的と言わないまでも、整合性は取れているはずだ。  人はその整合性の上で核心をもって行動しているはずだ。つまり、あまりに意味不明な行動をとることはほとんどない。  けれども、街には意味不明な行動をとる人が溢れている。先日は駅で延々と「この世は地獄だ」と大声で連呼している爺さんを見た。確かにこの世は地獄だが、その行動はあまりに突飛すぎる。  このような事象は理解不能な行動に思えるかもしれない。けれども、それは僕らがその断片だけを切り取って見ているからであって、当人の中には「この世は地獄」と連呼するに足る理由があるのだ。  人は本当に意味不明な行動はとらない。ただ、周りがその意味を理解できずにそう映っているだけなのだ。全ての行動にはちゃんと当人なりの理由がある。  だから、あれは何だったのだろうか、と思い返すような事象も、きっとこちらが理解できないだけで、本当は何らかの理由があるのだ。  福岡に行った。  福岡と言えば食べ物が美味しい土地だ。博多ラーメン、もつ鍋、めんたいこ、ちょっと考えただけでもそれだけの美味なるものが思い浮かぶ。そんな福岡は博多に降り立ち、さあ、夕飯、何を食べるか! 地元の旨いものに焼酎もいっちゃうか! となったとき、何をトチ狂ったのか、メイドカフェに行ってしまった。  完全に意味不明な行動だ。  はるばる福岡まで来て、あれだけ、もつ鍋、焼酎、などとワクワクしていたのにメイドカフェだ。何が起こったのか理解できず、狂ったかと思われるかもしれないが、それも、もつ鍋屋に行くつもりがメイドカフェに行った、という断片だけを切り取るからそうなるのだ。ちゃんと僕の中ではこの行動に整合性は取れている。  実は、福岡、特に博多界隈は2018年あたりからメイドカフェなどが熱い展開をみせている。新しい店舗がオープンし、老舗店舗が移転してリニューアル、さらに東京などで展開する有名店舗が上陸してきたりと、群雄割拠の戦国時代みたいな様相を呈しているのだ。コンセプトカフェもすさまじい勢いで増えており、この博多、天神界隈は全国でも有数の熱量を持った街になっているのだ。  そういった熱量をもったムーブメントを視察しておく必要がある。もつ鍋なんぞ、こういったら身も蓋もないけど東京でも食える。でも、いまこの博多のメイドカフェが持つ熱量を知る必要があるのだ。といったらかっこいいけど、単純に喉が渇いていたし、目の前にメイドカフェがあったから行っただけのことだった。それでもまあ、整合性はとれている。  ちなみに、僕は東京においてもメイドカフェなるものにはほとんど行ったことがない。それでも何事も経験だと、博多のメイドカフェのドアを叩いた。ほのかな緊張感が僕の周りを包んでいた。
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ゴトウさんに似たおっさんは完全に死にかけていた
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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