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ボートレース江戸川G1で前ヅケ! 中道善博の進入にやられた熊谷直樹が意地で…<江戸川乞食のヤラれ日記S>

熊谷vs中道、勝負の結果は……?

平成11年(’99年)6月13日 G1江戸川大賞競走 開設44周年記念 6日目 12R 優勝戦 1 中道善博 50歳 A1 2 熊谷直樹 34歳 A1 3 福田雅一 30歳 A1 4 加藤峻二 57歳 A1 5 三嶌誠司 30歳 A1 6 片山 晃 43歳 A1 (級別・年齢は当時)  当時の優勝戦の枠番は、準優1着の3人が1枠から3枠、準優2着の3人が4枠から6枠のガラガラを回して枠番抽選を行っていた。現行ルールであれば得点率2位で準優1着だった福田雅一が優勝戦1号艇になるのだがそれはまた別の話。  戦前のインタビューは、中道も熊谷も淡々と現状を語り、他のメンバーも何かを悟っているかのように、展開待ちを意識しているような作戦を語る。はたしてどんな結末を迎えるのか、本当に実現してしまった中道と熊谷の二度目の対決。いつもの優勝戦の雰囲気とは違う気配が場内に漂っていた。  ファンファーレが鳴り、ゆっくり待機行動水面に向かう6艇。前ヅケに出るかもと思われていた三嶌や片山も動かず、すんなり123456の進入ではあったが、なにか違う。  違和感の正体は全艇総ガマシの体勢。1コース中道ですらターンマークのかなり後ろから、およそ180m~200mからの起こし、つまり熊谷が2コースでありながらその中道よりも更に大きく引っ張り、カドを選択したのだ。  この瞬間スタンドの客は全てを察した。 「熊谷は中道をまくり殺すつもりだ!」  待機行動中の熊谷のトリッキーな動きに翻弄され、1コースの起し定位置からかなり後ろから起こすことになった中道は初動をしくじり、外の5艇に比べ起こしが大きく立ち遅れた。  中道のスタートタイミングは.15。それでも2コース発進の熊谷からは1艇身以上艇間が開いていた。  つまり熊谷のスタートは……。スタンドにいたほとんどの客はその結末を理解していた。  この日の優勝戦実況担当だった『ノッポさん』こと島崎慎一郎アナの「これは早い飛びだしです!」という声が響く。  1周1M、実質上のトップスタートを切った2コース熊谷は躊躇なく中道の頭を抑え込み、一気にまくりを仕掛ける。  まくらせまいと熊谷を張りに行く中道。それにまきこまれないように差しに切り替える本来のダッシュ勢。ターンマークを回り切った時点で熊谷は中道をまくりきり、さらに熊谷についていった福田雅一が中道に対してとどめとも言えるまくり差しに沈め、中道の優勝は完全に消滅した。  そこに鳴り響くフライングを知らせるチャイム。 「福田もやったか?」 「いや、熊谷だけだろう」 「熊谷だけだな、あんにゃろ本当に中道沈めちめぇやんの!」  フライング艇は2号艇熊谷のみ。返還欠場を告げるアナウンスが場内に流れた。  熊谷自身も自分のフライングを確信していたのか、中道をまくり殺したあとはバック半分あたりで競走をやめ、ゆっくりとピットへ帰投していった。  返還を被ったはずの客からは熊谷を責める声はなかった。むしろ熊谷が仇討ちの本懐をなしとげたといわんばかりに、ピットへ向かう熊谷に拍手やねぎらいの声をかける客もいたのだから……。  かくして、レースは熊谷の中道を潰すためだけと思える自爆テロにも似たフライングに巻き込まれず、きっちり3コースからまくり差しに打ってでた福田雅一のG1初優勝で幕を閉じた。  実は、自分も熊谷が優出を決めた時点で、優勝戦は熊谷の優勝かフライングだろうと決めつけ、熊谷vs中道の結末と2人のレース展開だけを予想していた。  それこそが『競艇』だと思うし、因縁の対決という図式は舟券の当たり外れなど度外視できるくらいドラマチックで面白いじゃないか! 自分はそう思っている。  ……ところで、この優勝戦の本当の勝利者は誰なのだろうか? 優勝戦結果 1着 3 福田雅一 ST0.02 2着 4 加藤峻二 ST0.10 3着 6 片山 晃 ST0.16 4着 1 中道善博 ST0.15 5着 5 三嶌誠司 ST0.12 F  2 熊谷直樹 ST+0.05 連単 3-4 1630円 8番人気 決まり手 恵まれ ※平成22(’10)年度以前の話題につき当時の名称にて表記しております ※本文中敬称略
シナリオライター、演出家。親子二代のボートレース江戸川好きが高じて、一時期ボートレース関係のライターなどもしていた。現在絶賛開店休業中のボートレースサイトの扱いを思案中
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勝SPA!
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