更新日:2023年04月20日 12:21
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少年院上がりの元ヤンキーがブラジルで新聞記者になるまで

「サンパウロ新聞」に勤めるまで

ブラジル番長

現在は廃刊となった「サンパウロ新聞社」の跡地と筆者・嵐よういち。周辺は治安が悪く、出社するとビルの前に射殺体が転がっていたこともあったらしい。吉永氏いわく「どの記者も一度はナイフや銃で襲われてますね」

 きっかけは、サンパウロで「サンパウロ新聞」の求人広告を見かけたことだった。自分みたいな人間が新聞記者になれるのだろうか……。半信半疑ながら試験に向かった。 「試験は原稿用紙に何でもいいから書けというものでした。それで、こっちに来てから世話になった日系移民について書いたら合格したんです。それからサンパウロで生活が始まりました」  2004年、吉永氏はサンパウロ新聞に入社、社会部記者として奮闘する。 「サンパウロ新聞時代は日系社会の取材がメインでした。地方都市を周ったり、ジャングルの奥地にも行きました。彼らはネットなどもちろん出来ないので、日本の情報は邦人新聞のみ。彼らの功績や貴重な話を後世に残したい! その一心で頑張りました。皆さん大変な苦労をしています」  サンパウロ新聞は給料が安かったそうで、日本円で当時1万5000円。寮があったので家賃はタダだったが、極貧生活を強いられた。それでも日系人社会のことを世の中に知らしめたいと思った。多くの人から食事をごちそうになるなどして助けられたという。  そして2006年、日本と南米の架け橋になりたいと帰国を決意。  現在は福岡に戻り、フリージャーナリストとして活動しながら、地元・博多のアウトローが集まる親不孝通りで町内会長に。また、少年院経験者の全国サポートグループ「NPO法人セカンドチャンス!」の副理事長を務めるなど、社会貢献活動も行っている。
ブラジル番長

現在は企業に呼ばれて講演会なども行う。画像は、本人のフェイスブックより

 暴走族、少年院、ブラジル……。吉永氏は、その特異な経験を未来に紡いでいく。<取材・文/嵐よういち>
旅行作家、旅行ジャーナリスト。著書の『ブラックロード』シリーズは10冊を数える。近著に『ウクライナに行ってきました ロシア周辺国をめぐる旅』(彩図社)がある。人生哲学「楽しくなければ人生じゃない」
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ヤンキー記者、南米を行く
元暴走族副総長で少年院生活を送った著者が、なぜか“南米武者修行の旅”へ…。その後、紆余曲折を経てブラジル『サンパウロ新聞』記者として活躍する元ヤンキーの感動と笑いのノンフィクション!
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