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山口組の分裂騒動から5年。“三国志”はいよいよ最終局面へ…

 山口組の分裂騒動が勃発して5年。一時は睨み合いが続き、表向きは「静穏」を保っていたが、ここにきて覇権争いが活発化、抗争状態に陥っている。当局の締めつけも厳しくなるなか、三つ巴となった戦いはいかに。復権、瓦解、消滅……? ’20年のシナリオを探る。
山口組

9月、神戸市内の路上で織田絆誠の車列が襲撃され、ガード役の組員が射殺された。 写真/時事通信社

髙山若頭出所を契機に六代目側が攻勢を強める

 ヤクザ業界を大きく揺るがせた、六代目山口組(以下、六代目側)の分裂とその後の再分裂の騒動において、’19年はその山が大きく動いた年として記憶されるだろう。  ’17年9月に任侠山口組(以下、任侠側)組員が射殺されて以来、3つの山口組は血を流すよりも、有力組長のヘッドハントで敵陣営の戦力を削ぐ工作に注力していた。そうしたカタギの企業のような紳士的な手法に、強烈なNOを突きつけたのが、六代目側若頭(序列2位)の髙山清司だ。 「’14年に収監された髙山が、’19年10月に社会復帰することは、3つの山口組の誰もが当然意識していたこと。だが、残り100日を切ったあたりから六代目側の組員たちの間に漂いだした焦燥感は格別だった。組織の規律を重要視する髙山は、六代目側から離脱した裏切り者を絶対に許さない。ならば、その敵陣営を攻撃した実績をつくっておかなければ、復帰した髙山に会わせる顔がないからな」(関西で活動する組織の幹部)  人間を突き動かす最も強い力は、恐怖である。果たして9月に入ると「髙山の出所が10月18日になった」といよいよ具体的な日付が傘下組織にアナウンスされ、誰もが身震いした。  10月10日、この無形の圧力がついに人を動かす。 「神戸山口組(以下、神戸側)の最大派閥・五代目山健組は、神戸市内の本部で定例会を開催しており、最高幹部や直参らが集結していました。これを取材しに来たメディア関係者を偽装したヒットマンによって、山健組組員2人が射殺されたんです。逮捕されたのは、六代目側の中核団体である弘道会の傘下組織幹部の丸山俊夫。周到な準備を重ねたうえでの犯行でした」(実話誌記者)

髙山若頭が10月18日に出所

 業界が騒然とする中、同18日に予定通り髙山はシャバの土を踏むと、これまで抗争の矢面に立ってきた好戦的な傘下組長らを最高幹部に抜擢。そして信賞必罰、六代目側組員たちが恐れていた通りに、不甲斐ない身内の粛清に乗り出した。自身が不在の間の組織運営を託していた六代目側統括委員長(序列3位)の橋本弘文を、引退に追い込んだのだ。  こんな状況下では、六代目側傘下組織は行動するしかない。  まず、髙山の復帰からちょうど1か月後の11月18日、神戸側幹部の清崎達也が、熊本市内の組事務所で六代目側傘下組織幹部に襲撃された。彼らは作業服姿の工事関係者を装って正面から訪問し、対応した清崎に切りつけたのだ。  次いで翌19日には神戸側幹部の青木和重が拠点とする札幌市内の施設に車両が突入し、ガレージのシャッターなどが破壊された。車両を運転していたのは弘道会系傘下組員だった。 「一連の神戸側幹部襲撃事件の中で、最も強烈なインパクトを与えたのが、11月27日に尼崎市で起きた自動小銃による射殺事件です。神戸側幹部の古川恵一が、アメリカの軍用銃M16で撃たれ、十数発の弾丸を浴びるハチの巣状態で壮絶な最期を遂げました。容疑者として逮捕されたのは、やはり六代目側傘下組織の元組員・朝比奈久徳でした」(夕刊紙記者)  六代目側のとどまるところを知らない攻撃に対して神戸側はどう立ち向かうか。’20年のヤクザ界からは、目が離せないのである。
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分裂劇は髙山若頭の収監から始まった……
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