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山口組の分裂騒動から5年。“三国志”はいよいよ最終局面へ…

神戸山口組の再分裂、そして三つ巴の戦いへ

 神戸側が発足した際、最も注目を集めた人物こそ、織田絆誠だ。 「トップの井上邦雄の信頼も厚かったようで、神戸側の『秘密兵器』だの『核弾頭』だのともてはやされていたな。全国の傘下組織を行脚して士気を鼓舞したり、敵の中枢の名古屋の街頭を大勢で練り歩くなどして六代目側をさんざん煽っていた。メディアにもよく取り上げられたから、神戸側では最も目立っていた男だろう」(山陽地方で活動する組織の幹部)  そんな大車輪の活躍を見せていた織田の心変わりは、’17年4月のこと。山健組の副組長でもあった織田は、山健組直参の約3割を引き連れて離脱。神戸側若頭補佐の池田幸治も追随し、新団体「任侠団体山口組(のちに任侠山口組に改称)」を旗揚げしたのだ。 「山口組を名乗る団体が3つになっただけでも異常事態ですが、任侠側が発足に際して開いた記者会見も超異例でした。マスコミの前で、井上の人間性の劣悪さや組織運営の拙さを徹底的にあげつらったんです」(全国紙社会部記者)  具体的には、会費などの金銭面での負担の重さや、山健組へのひいきが目に余ること、下からの進言が聞き入れられない風通しの悪さだ。もしこれが事実なら、弘道会による支配から古き佳き山口組を取り戻そうという神戸側の大義名分は、消えうせてしまう。  任侠側はこうした主張を拡散する上で、メディアや著名なヤクザライターを巧みに活用した。「山口組はどうあるべきか」を訴える思想戦を展開することで、神戸側に深刻なダメージを与えたのだ。

9月、神戸市内の路上で事件が起きる

「特に、同年8月の二度目の記者会見では、『2年前の神戸側による分裂騒動は、大型分裂詐欺事件だ』とまで発言。任侠側はキャッチーな言葉選びのセンスがいいんですよ。しかし、これに腹が据えかねたのか、沈黙を守ってきた神戸側はここに来てついに実力行使に出てしまいました」(ヤクザ事情に詳しいフリーライター)  そして9月、神戸市内の路上で事件は起きた。井上の側近だった山健組系組員の黒木龍己が織田の車列を襲撃し、その際、織田を守ろうとしたガード役の任侠側組員を射殺したのだ。これで3つの山口組はいずれも血を流すことになり、以降は前述のような引き抜き合戦に突入していった。  その最たるものが、翌’18年8月に浮上した、任侠側と六代目側との統合交渉だ。 「最初は誰もが耳を疑ったが、どうやら主導したのは司らしい。司は髙山が留守の間に分裂騒動が起きたことを悔やんでいて、何とか髙山の社会復帰までに自らの手で決着させたいとの考えを持っていたそうだ。交渉の使者には側近のヤクザを立てるのではなく、旧知のカタギに仲介を依頼することで織田との信頼醸成を図ったというから相当な本気ぶりだ」(中部地方で活動する組織の組員)  当初は疑心暗鬼の織田だったが、使者から「外側から山口組を改革するよりも、改革は内側に入って行うものだ」との司の言葉を聞かされたことで心が動く。織田は統合の話し合いに熱を入れるようになったという。
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