更新日:2023年05月18日 16:00
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“絶対に怒らない男”をキレさせるために苦心した結果――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第76話>

仏の哲の怒りのポイントを必死に探るが……

 例えば、メンタル系の研修の場合に「ふたり一組になって自分が抱えている不満を話し合ってみてください」とやる。こういう研修は全く知らない人だらけという状況ではあまり実施されず、パートナーは同僚など見知った関係になることが多い。知らない人だらけの会場であっても一緒に参加した知人の近くに座るのでおのずと知人がパートナーになる。  そんな相手に心の中の本心みたいなものをぶちまけるということは、非常に危うい。本来はよほど仲の良い友人でもあまりやらないことだ。それを同僚という微妙な距離感の相手に言わせる。そりゃ、普段はやらないこと、むしろやらないほうがいいことをやらせるのだから、何かが変わったような気がするだけだ。けれども、それはやはり本質ではない。まやかしだ。  だから、「こいつ、怪しいと思ったら怪しいこと言い出したわ、なんだよ、怒りの共有って」と思わなくはないけど「それは違うと思います!」と怒りながら場を乱すのはアンガーマネージメントができていないことになりかねないので、まあ、言われた通りにやりますか、と二人一組になるべく、長机の隣に座るパートナーの顔を見た。  当たり前だけど仏の哲さんだった。  これ完全に無理なヤツだろ。怒りの共有、無理なヤツだろ。だって仏の哲だぜ。 「なにか最近は怒ったことありますか?」  とにかく、怒りを共有するしかないので哲さんに問いかけてみる。 「ないねえ」  哲さんはそう言って笑っているだけだった。そりゃそうだ。有給が20日間も消失したのに怒らなかった人間だ。そんな人間が何に怒るというのだろうか。片腕のひとつでももぎ取られないと怒らないんじゃないか。  こうなると、こちらが怒りエピソードを出して、それを共有してもらうしかない。 「この間、仲間内で忘年会やったんですけど、その店がひどくてですね、7時に予約していたんですけど、その直前に電話かけてきてエレベーターが混むから予約時間7時15分からにならないかとかいうんですよ。直前にですよ」  そんなもん直前に言われても困るし、開始時間がズレると終了時間もずれるわけで、予定が合わなくなってくる人も出てくる。そんな感じで怒ったエピソードを披露した。 「まあ、エレベーター混むなら仕方ないでしょ」  しかし仏の哲は微動だにしない。まったく怒りもしない。さらに怒りを続ける。 「それが行ってみると、エレベーター混むどころの話じゃなくて、前の客が帰らないかと掃除がまだ終わらないとか、部屋を仕切っていた板が外れない、とかで結局始まったのが8時半ですよ! 7時に予約して! 8時半! 続々と参加者は集まってくるのに寒空で待機ですよ!」  さらに追撃の怒りを披露する。 「忘年会シーズンは忙しいしねえ、そういうことあるよねえ」  それでも仏は動かない! 「飲み放題でコース料理なのに5回くらい催促しないと酒と料理が出てこないわ、出てきた皿は汚いわ、おしぼりすら来ないわでめちゃくちゃですよ!」 「忙しいからねえ」  なんだよこいつ。怒れよ。酷い店だろ。怒れよ。  というか、そういう主旨の会なんだから怒りを共有したふりくらいしろよ。そういうもんだろ。  と、怒っている自分に気が付いたのです。そう、僕はいつの間にか怒っていたのです。  そして、その根源にあるのはやはり「伝わらない」ことなのです。こんなにも僕の怒りが哲さんに伝わらないことに苛立ち、怒っているだけなのです。 「こ、これがアンガーマネージメント……」  それに気が付けばもう怒る必要はありません。なにせ、怒りなんて伝わらなくていいのです。そもそも哲さんには伝わらないだろうし、伝わったところでそこまで意味はない。そう、怒るほどのことではないのです。
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超わかりにくい仏の哲の怒りのツボ
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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