夏の甲子園の珍事件簿。同一校名対決、誰も気づかず4アウト…
新型コロナウイルスがまたも球児たちの夢を奪った。高野連は今年の8月に開催される予定であった第102回夏の全国高校野球選手権大会の中止を発表。これは戦後初の出来事だ。しかも甲子園大会が春夏ともに中止に追い込まれるのもこれまた“史上初”というまさに大事件となってしまった。
高校野球、特に夏の大会といえば、“1度負けたら終わり”という“敗者の美学”が尊いとされている。だが、実は夏の大会創成期のころ、“敗者復活制度”が実施されていたのだ。
これは1916年の第2回大会から採用されていたのだが、当時の参加校数ではうまくトーナメント表に収まらないための措置だった。このときの敗者復活戦で勝利した鳥取中(現・鳥取西)は次の試合で敗退したため、何も問題はなかったのだが、続く’17年の第3回大会で“それ”が起きてしまった。
この大会では初戦敗退した6校の中から4校が抽選で敗者復活を行うことに。そしてなんとこれを勝ち抜いた愛知一中(現・旭丘)が準々決勝と準決勝、そして決勝までも制し、なんと優勝してしまったのだ。まさに敗者復活制度の恩恵に預かる形となったワケだ。だが、さすがに「1回負けたのに優勝するのはおかしい」という異論が続出し、この大会かぎりで敗者復活制度は廃止になっている。
ちなみに何の偶然か、当時の愛知一中の主将は大会前のミーティングで「敗者復活で勝ち上がってきても、決勝を勝ったら優勝か」と主催者側に確認していたという。
その事件は’54年第36回大会で中京商(現・中京大中京=愛知)が夏通算5回目の優勝を飾った直後に起きた。優勝旗は同校の校長室に大切に飾られていたのだが、11月末のある日のこと。なんと優勝旗の旗の部分が盗まれ、残った旗竿にはまったく別の旗が取り付けられていたのだ。
当然のように学校側は警察を総動員して捜索に当たったが、発見には至らない。そのため主催者側も翌年2月の段階で新しく優勝旗を作ろうとしたまさにそのときのこと。同校から約600メートル離れた名古屋の市立中学校の床下で無事発見された。事件発生から85日後のことだった。ちなみに犯人は結局見つからずじまいだったという。
’82年の第64回大会、2回戦で帯広農(北北海道)と対戦した益田(島根)の9回表の攻撃のときにその珍事件は起きた。4-2とリードしていた益田はこの回1点を追加。続く2死1塁から次打者がセカンドフライに倒れ、3アウトチェンジのハズ……だった。ところがここで益田の次打者が打席に入ってしまう。
帯広農の投手はおかしいことに気づいていたようだが、4人いた審判員もほかの選手たちもそれに誰一人気づいていなかった。当然、そのままプレーは続行され、この打者はサードゴロでようやく攻守交代となったのだった。
実はこの凡ミス、スコアボードのアウトを示すランプが故障のせいで、2死の時点で1つしか点灯されていなかったのがその原因だった。記録員に指摘され、審判団もようやく気づいたようで、当然のようにこのサードゴロの“第4アウト目”の記録は抹消された。
なお、試合はこのミスジャッジに関係なく、5-2で益田が勝っているが、事態を重大視した高野連は、同日以降、この試合の審判団4人を第64回大会開催中、全員謹慎処分にしている。
そこでこの事態のすべての原因となった新型コロナウイルスを憎みつつ、中止以外の夏の甲子園選手権大会の事件簿5選をお届けしたい。
①負けたら終わりのハズなのに……何故か“優勝”
②いまだ犯人不明……の深紅の大優勝旗盗難事件
③誰も気づかない? 人為的ミスで起きた“4アウト”
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